朝日日本歴史人物事典 「押川則吉」の解説
押川則吉
生年:文久2.12.19(1863.2.7)
明治大正時代の官僚。鹿児島藩士押川乙五郎の長男。駒場農学校(東大農学部)卒業後,明治16(1883)年農商務省に入り,農学士,農芸化学士の学位を授けられた。新潟県御用掛を勤めたのち21年フランス大博覧会事務官補としてフランスに出張,同時に農事経済取調のため欧州各国を歴訪した。24年帰国し農商務技師,台湾総督府民政局事務官,同殖産部長,山形・大分・長野・岩手・熊本各県知事などを歴任。のち第2次桂内閣の農商務次官,第3次桂内閣の内務次官を務め,東洋拓殖会社設立委員,鉱毒調査会委員長,神職高等試験委員長などにもなり,製鉄所長官も務めた。44年には貴族院議員に勅選された。
(小林和幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報