日本歴史地名大系 「掃守郷」の解説
掃守郷
かにもりごう
「和名抄」高山寺本・東急本ともに「守」とするが、刊本は「掃守」とし、これが正しい。和泉国和泉郡にも掃守郷があり、これに同書東急本は「加尓毛利」の訓を付す。「かもり」とも読む。掃守氏が居住していたのでこの郷名が生じたのであろう。「新撰姓氏録」の河内国神別に「掃守宿禰 振魂命の後なり」「掃守連 同神四世の孫、天忍人命の後なり」「掃守造 同神四世の孫、天忍人命の後なり」とある。また和泉国神別にもこの氏族のことが、「掃守首 振魂命四世の孫、天忍人命の後なり。雄略天皇の御代、掃除の事を監し、姓掃守連を賜う」とみえる。これにより、掃守氏が河内・和泉に分布していたことが知られる。掃守首が連姓を賜ったことは前掲の史料でわかるが、掃守連が宿禰の賜姓にあずかったことは、「日本書紀」天武天皇一三年(六八四)一二月条にみえる。
掃守郷
かにもりごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報