改訂新版 世界大百科事典 「排耶書」の意味・わかりやすい解説
排耶書 (はいやしょ)
キリスト教に論駁を加えた日本近世の書物の総称。慶長年間(1596-1615)前半にまず《伴天連(バテレン)記》と《吉利支丹(キリシタン)由来記》が著されたが,教理に対する反論は不十分でキリシタン攻撃も穏やかであった。1620年(元和6)元イエズス会会員の背教者ハビアンが《破提宇子(はだいうす)》を,またさらに転び伴天連のフェレイラ(沢野忠庵)が《顕偽録》を著すに及んで,従来の教理面の弱点が補強され,両書はその後に現れた排耶書に理論的根拠を与えた。排耶書は37年(寛永14)に起こった島原の乱を契機にして民衆教化のために利用され,幕府の鎖国政策を擁護して民衆の間に反キリシタン思想を鼓吹した。鈴木正三は天草地方の民衆教化のため《破吉利支丹》を著し,豊後臼杵の僧雪窻宗崔(せつそうそうさい)は《対治邪執論(たいじじやしゆうろん)》を書いて特異な排耶論を展開したが,しだいに一般大衆を対象とした読み物風の通俗的な排耶物語《吉利支丹物語》《吉利支丹退治物語》《南蛮寺物語》《南蛮寺興廃記》などが流布するに至った。
執筆者:五野井 隆史
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