浅井了意(読み)アサイリョウイ

デジタル大辞泉 「浅井了意」の意味・読み・例文・類語

あさい‐りょうい〔あさゐレウイ〕【浅井了意】

[1612ころ~1691]江戸前期の仮名草子作者武士から浄土真宗の僧となった。号は瓢水子、松雲。著作に「御伽婢子おとぎぼうこ」「狗張子いぬはりこ」「東海道名所記」など。

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精選版 日本国語大辞典 「浅井了意」の意味・読み・例文・類語

あさい‐りょうい【浅井了意】

  1. 江戸前期の仮名草子作者。浄土真宗の僧侶、唱導家としても活躍。松雲・瓢水子などの別号がある。多数の仏教書の他に、仮名草子三十余部を著したが、中国の怪異小説「剪燈新話(せんとうしんわ)」などを翻案した「御伽婢子(おとぎぼうこ)」、浮世房の一代記の形をとって現実社会を批判風刺する「浮世物語」などが代表作。生年未詳、元祿四年(一六九一)没。

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改訂新版 世界大百科事典 「浅井了意」の意味・わかりやすい解説

浅井了意 (あさいりょうい)
生没年:?-1691(元禄4)

江戸前期の仮名草子作者,仏典注釈者。別名は松雲,瓢水子,羊岐斎,昭儀坊など。浄土真宗の僧。摂津国島上郡三嶋江(現,高槻市)の浄土真宗大谷派の末寺,本照寺の住職の一子として生まれた。父の名は不詳。父の弟,東本願寺の家臣西川甚七郎宗治が,教如上人の政治的中立主義の方針に反して,徳川方の藤堂和泉守配下に走ったため,兄の本照寺は宗門追放,寺地召上げの処分を受け,還俗し浪々の生活を送るようになった。了意の幼少年期についてはつまびらかではないが,壮年期を迎えるまで辛酸をなめる浪人生活を送らなければならなかったことは想像に難くない。浅井姓はおそらく母方の姓で,当時世間一般には通じており,書籍目録の作者付には見られるが,著書の署名には用いられていない。大坂に居を構えた浪人時代の万治・寛文(1658-73)にかけて仮名草子を次々と発表する。この時期が,仮名草子作者として了意がもっとも活躍したときである。寛文末ごろ出家して大谷派に帰参,1675年(延宝3)に,以前から署名に用いていた本性寺を紙寺号(名義のみの寺号)として許される。同じころ京都二条菊本町正願寺の2世住職を襲うが,著書の署名や,一般対外的には正願寺は用いず,本性寺を名のった。このころから仮名草子の創作は減り,浄土真宗の一学僧,一唱導家としての生涯を送るべく,仏書の著述に傾注した。元禄4年元旦,80歳前後で急逝した。1973年,大谷派から学階第二位嗣構が追贈された。

 浪人時代から没するまでの約50年間,あらゆる分野の仮名草子,仏書の筆をとり,盛名は全国的で,もっとも早い職業作家の一人と考えられる。真偽未決のものも含め,その著作は仮名草子類約30部280巻,仏書約20部230巻の多きが数えられる。名所記・道中記的な《東海道名所記》《江戸名所記》《京雀》,怪談集《御伽婢子(おとぎぼうこ)》《狗張子(いぬはりこ)》,教訓書《堪忍記》《大倭(やまと)二十四孝》,随筆的な《可笑記評判》,実録書《かなめ石》《武蔵鐙(あぶみ)》《鬼利至端(キリシタン)破却論伝》,咄本《狂哥咄》などが知られているが,〈博識強記〉といわれるほどの豊かな学識,平淡な文体,寛容の精神,大衆に対する共感と同情,現実社会への慷慨などにささえられ,いずれも読者の好評を博した。なかでも滑稽遍歴談《浮世物語》には,西鶴の《好色一代男》の先駆的要素と,痛烈な現世批判をみせる警世的要素との結合がみられ,作品としては未熟ではあるが,高く評価されている。また《御伽婢子》《狗張子》は,近世怪異小説の一時期を画したもので,後代への影響も大きい。しかし,了意の究極の目的は《三部経鼓吹》に〈吾レ昔学ニ志シテヨリ,唱導ヲ懐(おも)フ〉とみずから記しているように,唱導にあり,たとえば怪異小説は唱導方便の作であり,教訓書も同じく唱導の目的で書かれたものと考えられよう。当時の作家の中では,了意の作品は質・量ともに群をぬき,彼をして近世文学の一巨人と称するにやぶさかでない。
仮名草子
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅井了意」の意味・わかりやすい解説

浅井了意
あさいりょうい
(?―1691)

江戸前期の仮名草子作者。浅井松雲了意、本性寺昭儀坊了意などとも称する。慶長(けいちょう)末年(1610ころ)、摂津国三島江(大阪府高槻(たかつき)市)にあった浄土真宗の末寺本照寺の住職の子として生まれる。父の追放に伴い、浪々のうちに青壮年期を過ごしつつ、仏学、儒学、和学などの修業を積んだと推定される。1659年(万治2)ごろから仮名草子を執筆刊行し始め、『堪忍記』(1659)、『東海道名所記』(1659)、『可笑記評判』(1660)、『江戸名所記』(1662)などを続々と刊行し、仮名草子の第一人者の位置を確保する。さらに、明暦の江戸大火のルポルタージュである『むさしあぶみ』(1661)、現実批判を笑いのなかで行おうとする『浮世物語』(1665ころ)、中国の怪異小説『剪燈新話(せんとうしんわ)』を翻案し日本の奇談を集めた『御伽婢子(おとぎぼうこ)』(1666)などの秀作を発表し、後世へ多くの影響を与えている。しかし、仮名草子に力を注いだ時期は1660年代で終わり、1670年代以後は、『三部経鼓吹(くすい)』(1668~1674)をはじめとする大量の仏書や多方面にわたる啓蒙(けいもう)・解説書などを精力的に書き、同時に仏教の唱導者としても活躍を続け、元禄(げんろく)4年1月1日、80歳前後で没した。

[谷脇理史 2017年5月19日]

『北条秀雄著『改訂増補 浅井了意』(1972・笠間書院)』『北条秀雄著『新修浅井了意』(1974・笠間書院)』


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朝日日本歴史人物事典 「浅井了意」の解説

浅井了意

没年:元禄4.1.1(1691.1.29)
生年:生年不詳
江戸時代の仮名草子作者,唱導僧。松雲,瓢水子などと号する。「浅井」は母方の姓か。摂津国三島江の本照寺(東本願寺派)の住職の子として生まれる。慶長11~19(1606~14)年の間に,叔父西川宗治が出奔事件を起こし,父も連座,宗門を追放され,浪々の身となる。その後,寛永年間(1624~44)には京都に住み,一時大坂にも居住したらしい。万治2(1659)年に教訓物の『堪忍記』を出版。これが好評を博し,以後,仮名草子を40部近く,仏書を15部以上も著した。仮名草子では,『京雀』(1665)などの地誌,『孝行物語』(1659)などの教訓物,『伽婢子』(1666)などの怪談集,『むさしあぶみ』(1661)などの報道文学といった,幅広い分野に数多くの著述を残し,代表的作家といえる。仏書は主に経典の俗解書である。いずれの著書からも,「博識強記」として著名であった了意の才能を窺うことができる。延宝(1673~81)初年に,京都二条菊本町正願寺の2世住職となり,また,念願の本照寺再興の件では,延宝3年に「本性寺」の紙寺号が許され,自ら「本性寺昭儀坊」と名乗った。その後は主として仏書を執筆し,80歳ぐらいで没したと思われる。

(樫澤葉子)

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百科事典マイペディア 「浅井了意」の意味・わかりやすい解説

浅井了意【あさいりょうい】

江戸前期の仮名草子作者。別名,松雲,瓢水子などと号す。伝未詳。初め浪人,のちに京二条本性寺(正願寺)の住職。浄土真宗の学僧,唱導家として仏書の注釈も多い。仮名草子の最後を飾る最大の作者。80歳前後で没。主著《東海道名所記》《御伽婢子(おとぎぼうこ)》《浮世物語》《堪忍記》など。
→関連項目江戸名所記金時習

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅井了意」の意味・わかりやすい解説

浅井了意
あさいりょうい

[生]?
[没]元禄4(1691).1.1. 京都
江戸時代前期の仮名草子作者。号,瓢水子,松雲,本性寺昭儀坊了意。初め浪人であったが,のち出家し,京都二条本性寺の住職となる。仮名草子期における質量ともに最大の作家だが,その生涯は不明な点が多い。仮名草子『堪忍記』 (1655) ,『可笑記評判』 (60) ,『東海道名所記』『浮世物語』『御伽婢子 (おとぎぼうこ) 』『狗張子 (いぬはりこ) 』 (92) など,古典注釈書『伊勢物語抒海』 (55) ,『源氏雲隠抄』 (77) など,地誌『江戸名所記』『京雀』 (65) ,仏教注釈書『三部経鼓吹』 (68~77) ,『勧信義談鈔』など,その著述範囲は多岐にわたる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅井了意」の解説

浅井了意 あさい-りょうい

1612?-1691 江戸時代前期の仮名草子作者,僧。
慶長17年?生まれ。真宗大谷派。明暦元年教訓物「堪忍記」で評判をとり,以後「東海道名所記」,滑稽(こっけい)物「浮世物語」,怪奇物「御伽婢子(おとぎぼうこ)」などを発表。京都正願寺(しょうがんじ)住職となった晩年は,通俗的な仏教書をかいた。元禄(げんろく)4年1月1日死去。80歳? 摂津三島江(みしまえ)(大阪府)出身。号は松雲,瓢水子,昭儀坊。
【格言など】いとおしき子には,旅をさせよという事あり。万事思い知るものは,旅にまさる事なし(「東海道名所記」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「浅井了意」の解説

浅井了意
あさいりょうい

?〜1691
江戸前期の仮名草子作者
松雲・瓢水子 (ひようすいし) ・昭儀坊 (しようぎぼう) と号した。経歴不詳。寛永・元禄期にかけ,質量ともにすぐれ,怪異ものをはじめ仮名草子に新生面を開いた。代表作に『御伽婢子 (おとぎぼうこ) 』『東海道名所記』『浮世物語』など。

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世界大百科事典(旧版)内の浅井了意の言及

【浮世物語】より

…仮名草子。浅井了意作。5巻5冊。…

【江戸名所記】より

…仮名草子,地誌。浅井了意作。1662年(寛文2)刊。…

【御伽婢子】より

…仮名草子。瓢水子松雲(浅井了意)作。13巻13冊。…

【堪忍記】より

…8巻8冊。浅井了意作。1659年(万治2)刊。…

【狂歌咄】より

…5巻5冊。浅井了意作。1672年(寛文12)刊。…

【京雀】より

…7巻7冊。浅井了意作。1665年(寛文5)刊。…

【東海道名所記】より

…仮名草子。浅井了意作。6巻6冊。…

【北条九代記】より

…全12巻。著者は浅井了意か。1675年(延宝3)初版刊行。…

【本朝女鑑】より

…仮名草子。浅井了意の作か。1661年(寛文1)刊。…

【武蔵鐙】より

…2巻2冊。浅井了意作といわれる。1661年(寛文1)刊。…

【大倭二十四孝】より

…24巻12冊。浅井了意作といわれる。1665年(寛文5)刊。…

※「浅井了意」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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