播磨国分尼寺跡(読み)はりまこくぶんにじあと

日本歴史地名大系 「播磨国分尼寺跡」の解説

播磨国分尼寺跡
はりまこくぶんにじあと

[現在地名]姫路市御国野町国分寺

いち川左岸に発達した標高約一四メートル程度の洪積台地の縁辺部に立地する。播磨国分寺跡北方約六〇〇メートルの地点にあたる。かつては毘沙門びしやもん廃寺とよばれていた。八世紀中葉から一三世紀初頭頃まで継続したと推測される。昭和六〇年(一九八五)に第一次の発掘が始まり、平成四年(一九九二)までに五次にわたる発掘調査が実施された。北面と東面の築地は一〇ヵ所のトレンチで確認されている。築地基壇は幅三メートル強で、幅四―五メートルの内外両側溝を備えている。調査で発見された添柱痕跡から築地本体幅は一・二メートル前後と推定される。東築地で計測した方位は北から西に四度三分振れており、国分寺跡の方位に近似する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む