救世軍(読み)きゅうせいぐん(英語表記)Salvation Army

翻訳|Salvation Army

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

救世軍
きゅうせいぐん
Salvation Army

プロテスタントの伝道,慈善団体。メソジスト派の牧師であったウィリアム・ブースが独立して,1865年ロンドンのスラム街で Christian Missionの名のもとに貧民への伝道を始め,78年軍隊組織を模して救世軍と名を改めた。聖書を唯一の権威とし,制服をまとい音楽を用いて街頭に進出,貧民への伝道,救済活動を行い,全世界 (約 70ヵ国) に広まった。日本には 95年イギリスより渡来し,山室軍平らの努力で普及,東京に本営を構え,機関誌『ときのこえ』を出し,廃娼運動などの社会改革運動を行い,年末の社会鍋などで親しまれている。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

救世軍

英国の牧師ウィリアム・ブースが、キリスト教福音主義に基づき1865年に始めた宗教活動。日本では1895年から活動している。宣教のほか、各地で募金活動「社会鍋」やバザーなども展開。社会福祉法人「救世軍社会事業団」を設立し、同事業団が児童養護施設婦人保護施設保育所など約20の施設を運営している。

(2006-04-20 朝日新聞 朝刊 1社会)

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百科事典マイペディアの解説

救世軍【きゅうせいぐん】

英国メソディスト派の牧師ブースが1865年創始した伝道組織〈クリスチャン・ミッション〉が,1878年改称されたもの。英語でSalvation Army。軍隊式の用語,活動,組織を特徴とする。ロンドンに本部をおき,世界各地に普及,1895年日本にも伝わり,山室軍平らを指導者とし,廃娼(はいしょう)運動,〈社会なべ〉募金などに従事,今日に至っている。
→関連項目社会鍋廃娼運動

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世界大百科事典 第2版の解説

きゅうせいぐん【救世軍 The Salvation Army】

1865年,イギリスのメソディスト教会牧師ブースWilliam Booth(1829‐1912)は,ロンドン東部貧民地区の飲酒,悪徳,賭博その他の罪過にあえぎ,教会からは遠ざかる住民のために〈クリスチャン・ミッション〉と呼ばれる熱烈な伝道組織を創設した。これが78年〈救世軍〉と改称し,軍旗軍楽隊,軍服型の制服や規律正しい軍隊的秩序をもって,独自の伝道戦線を展開した。在来の教会では対処しえない社会的ニーズに即応するその進撃的態度は,めざましい活力を発揮し,ロンドンに万国本営を置き,各国に本営,連隊小隊分隊等の組織をもつ国際的団体へと発展した。

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大辞林 第三版の解説

きゅうせいぐん【救世軍】

キリスト教プロテスタントの一派。1865年、イギリスの W =ブースによって創始された。軍隊式組織により伝道・社会事業を行う。日本には1895年(明治28)に伝来した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

救世軍
きゅうせいぐん
The Salvation Army

実践的な社会活動を重んじるプロテスタントの一教派。1865年にロンドンのスラム街イースト・エンドで、メソジスト教会の牧師ブースWilliam Booth夫妻らによって始められた。キリストの福音(ふくいん)の伝道、信仰的共同体の形成、貧困と悪徳を敵として社会改善のために戦うことを目的とする団体である。ブースはその実践の最善の方法として、軍隊用語と軍服型の制服と軍隊方式の組織を採用した。現在ロンドンに万国本営を置き、各国に本営―連隊―小隊―分隊などの組織をもち、社会主義国を除くほとんどすべての国で活動している。
 創立者ブースは少年時代に父親の事業の失敗と死によって苦労し、15歳で回心を経験、貧困に苦しむ人たちへの共感を抱く。伝道者としての召命を自覚し、妻キャサリンの協力を得て、創意工夫を生かしてスラム街で伝道活動に従事(1865年以降)する過程で、情熱的なブースはメソジスト教会から分かれて東ロンドン伝導会を組織したのち、この活動組織を1878年に「救世軍」と改名した。救世軍はキリスト教の教義を単純化した「救いと聖潔」を中心教理とし、その教理を「血と火」という標語にまとめた。血はキリストを、火は聖霊を表象する。既成教派で重んじる礼典は否定した。禁酒と禁煙を守る生活の規律は合理的・禁欲的エートス(道徳的気風)を生み出した。このような純然たる救霊運動として出発した救世軍は、地域住民の多様な日常的必要に対応しうる施設を提供して奉仕活動に従事した。マイクロホンのない時代に、群衆を集める工夫としてらっぱを吹奏したことから、ブラスバンドが伝道の武器となった。
 日本での活動は、1895年(明治28)にライト大佐ら14名の伝道者が来日したことから始まり、救世軍の伝道方法と情熱に共鳴した山室軍平(やまむろぐんぺい)が参加し、志を同じくする者が祈りと力とをあわせて日本救世軍を発展させ、行政の責任者が無視していた底辺の大衆の心の問題と救いと生活上の援助に誠実な努力を注いだ。公娼(こうしょう)制度の犠牲となっていた女性の解放運動(1900)に立ち上がり、セツルメント事業として大学殖民(しょくみん)館(1908)、労働寄宿舎(1911)、社会殖民館(1917)を開設し、病院(1912)や結核療養所(1916)を経営するなど、伝道と同時に活発な社会奉仕活動によって注目されてきた。年末の街頭の風物になっている慈街頭募金活動の「社会鍋(なべ)」も、その活動の一端である。
 日中戦争が深刻化した1940年(昭和15)救世軍は政府の弾圧によって救世団と改名し、翌年政府の指導下で生まれた日本基督(キリスト)教団に参加した。太平洋戦争後の1946年救世軍日本本営として再建されて今日に至る。1989年(平成1)、救世軍清瀬病院にホスピス病棟が開設された。2010年時点で、日本の小隊数は58を数え、士官数111名、兵士(信者)数3332名である。[川又志朗・原 誠]
『吉田信一編著『神の国をめざして 日本救世軍の歴史3 1945~1965』(1987・救世軍出版供給部) ▽秋元巳太郎著『神の国をめざして 日本救世軍の歴史1 1895~1926』(1991・救世軍出版供給部) ▽秋元巳太郎著『神の国をめざして 日本救世軍の歴史2 1927~1946』(1992・救世軍出版供給部) ▽吉田信一・持丸智惠子編著『神の国をめざして 日本救世軍の歴史4 1966~1995』(1995・救世軍出版供給部)』

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世界大百科事典内の救世軍の言及

【職業紹介】より

…明治以降もこれらは存続したが,ややもすれば中間搾取,強制労働,人身売買等の弊害を伴っていた。職業紹介が公益的な事業として行われたのは,1906年(明治39)救世軍が東京の本営内に無料宿泊および職業紹介施設を設置したのが最初である。これに続いて公益的な団体による紹介所が設立されるようになったが,これらはすべて私設で,救貧的,慈恵的な性格をもつものであった。…

【廃娼運動】より

… 日本ではマリア・ルース号事件を契機に1872年(明治5)の〈娼妓解放令〉によって公娼制は廃止されたが,たちまち当人の望みにより渡世する娼妓と貸座敷として復活した。これに対して婦人矯風会救世軍などの団体が廃娼をとなえ,これに伴って82年群馬県会が公娼廃止令を布告,93年実施した。以後廃娼運動は,99年の吉原の一娼妓の自由廃業,翌年のキリスト教牧師による自由廃業運動を経て,1900年代初めには神の恵みを娼妓に及ぼす救世軍の自由廃業運動として展開され,11年には廃娼目的の廓清会も生まれ,大正期に入っては,関東大震災(1923)直後,東京連合婦人会政治部による全国廃娼期成同盟の結成,26年廓清会と婦人矯風会による廃娼連盟の結成をみた。…

【ブース】より

救世軍の創立者,初代大将。イギリスのノッティンガムに生まれ,もとはメソディスト派の伝道者であったが,やがて独立してロンドンの貧民地区の伝道を始めた。…

※「救世軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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