朝日日本歴史人物事典 「教懐」の解説
教懐
生年:長保3(1001)
平安中・後期の顕密の僧で高野聖の祖。俗称は小田原迎接房。その生涯は『拾遺往生伝』『高野山往生伝』などで知ることができる。讃岐守であった父が拷問を加えた罪人の怨霊鎮魂と滅罪のために幼くして出家,興福寺に入る。やがて寺を出て同寺の念仏別所である小田原(京都府相楽郡加茂町)に住した。その後,小田原を出て高野山に登る。そのとき,教懐は推定70歳で,年齢からして極楽往生が目的であったらしい。高野山では毎日両界法と阿弥陀供養を行い,大仏頂陀羅尼と阿弥陀大真言を誦す真言念仏の日々を送った。寛治2(1088)年に白河上皇が高野山に御幸した際,小袖綿衣30領を賜る聖人のひとりに選ばれ,同時に他の聖人の補任権も与えられていることから,聖集団が一定の勢力として形成されていたことが知られる。没するまでの20余年におよぶ高野山滞在を通じて小田原聖と呼ばれる念仏集団が形成され,教懐は高野聖の祖と仰がれるようになった。高野山における足跡は大きく,別所聖として教懐が活動した場は小田原谷という地名として残り,同法である維範の往生を雲に乗って迎える彼の様子を石像化したものが近世まであったらしい。<参考文献>五来重『増補高野聖』,加茂町史編纂委員会編『加茂町史』1巻
(追塩千尋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報