新井郷(読み)にいいごう

日本歴史地名大系 「新井郷」の解説

新井郷
にいいごう

和名抄」高山寺本は「迩比為」、同書伊勢本・東急本は「尓比井」と読む。同書名博本は「ニヒイ」と訓を付す。「阿府志」は「此地南北新居・和田・岩延・高崎ナトノ所ヲ云」として鮎喰あくい川下流左岸沿いに所在する旧和田わだ岩延いわのぶの両村(現徳島市)および旧高崎たかさき、南・北の新居にいの諸村(現同上)比定する。「阿波志」は南・北の新居に限定して比定している。近代になって「日本地理志料」は「阿府志」を引継ぎ、「大日本地名辞書」は鮎喰川と吉野川の合流点に近い南新居・北新居・高崎の三大字からなる旧新居村に比定している。

新井郷
にいごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。新井の語義は「にひい」で、新しくつくられた井手という意味とされる(因伯地名考)。遺称地がなく郷域は確定しにくいが、「和名抄」汗入郡諸郷の記載順序からは、同郡西端、現淀江よどえ町の旧淀江村・宇田川うだがわ村地区一帯に比定される(鳥取県史)。この地域は孝霊こうれい山北西麓で淀江平野を含み、縄文時代から古墳時代にかけての遺跡が県下で最も集中している地域で、条里遺構も明瞭に残っていた。

新井郷
にのいごう

新居にのい付近にあった中世郷で、「和名抄」記載の浅井郡新居にいい郷に由来すると考えられる。永享七年(一四三五)七月日の長浜八幡宮奉加帳(東浅井郡志)の勧進猿楽出銭桟敷注文に「新井庄主」とみえるが、領主は不明。「蔭涼軒日録」長禄三年(一四五九)四月二一日条によれば等持とうじ(跡地は現京都市中京区)領で、応仁の乱で一時退転していたが、長享二年(一四八八)同寺領として回復、延徳元年(一四八九)正月一日には衆議により玖都寺を庄主とすることが決められたが、固く辞退されている(鹿苑日録)

新井郷
にいいごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。高山寺本に「邇比為」、東急本に「爾比井」の訓がある。「遠江国風土記伝」は大新井おおあらい(現大須賀町大渕付近)などに比定し、「掛川誌稿」「大日本地名辞書」などもこれを継承する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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