汗入郡(読み)あせりぐん

日本歴史地名大系 「汗入郡」の解説

汗入郡
あせりぐん

伯耆国西部にあり、北は日本海に面する。東は八橋やばせ郡、西は会見あいみ郡と接する。現在の西伯さいはく郡中央部を占め、中山なかやま町の一部、名和なわ町・大山町、淀江よどえ町の一部にあたる地域。南部の大山から下市しもいち川・名和川・阿弥陀あみだ川などが北流し、下流部にわずかな平野が広がる。

〔古代〕

大山北麓および孝霊こうれい山麓は鳥取県西部一の考古遺跡の集中地域で、初源的なものから後期築造のものまで多数の古墳群がみられる。とくに淀江町福岡ふくおか地区一帯は向山むこうやま古墳群をはじめ晩田ばんだ古墳群・百塚ひやくづか古墳群・四十九谷しじゆうくだに横穴群などが集中、この地域に大きな勢力をもった首長の存在を示す。彩色壁画片などが出土した奈良時代の上淀かみよど廃寺もこの地域にあり、この寺を創建した豪族は古墳時代の同地域の首長の系譜を引く一族とされる。また孝霊山北西麓は古代には潟湖が広がっていたらしく、大陸からの文化を受入れる湊があったとも推定される。また淀江平野では最も整った条里遺構が確認されたが、圃場整備事業のため現在は残っていない。

和名抄」東急本国郡部では郡名に「安世利」の訓を付す。天平一七年(七四五)一〇月付の平城宮跡出土木簡で、「伯耆国汗入郡尺刀郷」とみえる。「伯耆民談記」には、郡名は古くは「安合郡」と称したが、光仁天皇の時代老父に代わって人夫として当郡から都に上った女性が天皇の后に召出され、その女性の詠んだ歌の句にちなみ、郡名を汗入と改めたという伝承を記す。貞観二年(八六〇)九月汗入郡など四郡は水災に襲われ被害に遭った百姓が多数にのぼったため、翌三年六月九日、庸・調・雑徭などの課役が二年間免除された(三代実録)。「和名抄」は束積つかづみ・汗入・奈和なわ尺度さかと高住たかずみ新井にいの六郷を載せる。汗入郷にあったと思われる郡家の比定地については、現中山町の旧逢坂おうさか村地域とする説、現淀江町福岡付近とする説、現名和町名和とする説などがある。また「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条にみえる山陰道和奈わな駅を「奈和駅」の誤記として奈和郷に置かれたと考え、名和町名和と御来屋みくりやの境、馬郡うまごおり・東馬郡・西馬郡・長者原ちようじやはらなどの小字のあるところに比定、汗入郡の郡家もこの付近に置かれたと推定する説もある。汗入郡の伝馬は五疋と定められていた(同書)

「出雲国風土記」に「大神嶽」とみえる大山は奈良時代に山岳修行の聖地として開かれ、平安時代中期までに地蔵信仰を中心とする天台宗寺院としての体制が整えられた。平安末期には阿弥陀信仰の盛況に伴い阿弥陀堂も建立された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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