新子観音堂跡(読み)あたらしかんのんどうあと

日本歴史地名大系 「新子観音堂跡」の解説

新子観音堂跡
あたらしかんのんどうあと

[現在地名]花園村新子 堂原

有田ありだ川の左岸堂原どうがはらにあったが、昭和二八年(一九五三)の七・一八水害で流失し、現存しない。観音堂はあたらし(現新子)氏神であった弁財天社の境内にあり、天平写経を含む平安時代以前の写経を所蔵していた。「続風土記」は「堂内に大般若経六百巻の古写本を蔵む、全部天平勝宝の写本なりしに、後脱本となり追々写し足したるものなるへし、今巻末書す所の年号等を左に略記す、世に稀なるを示すのみ、細箱の蓋の記と、別当神宮寺の鐘の銘とに拠るに恐らくは和泉国大福寺より転せしものならむ(中略)其由緒詳ならすといへとも実に稀代の物といふへし」と記し、天平勝宝(七四九―七五七)延喜(九〇一―九二三)寛和(九八五―九八七)・長徳(九九五―九九九)奥書のある一一巻をあげ、その他万寿(一〇二四―二八)延久(一〇六九―七四)などの奥書をもつものがあることを付記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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