鈴鹿関(読み)すずかのせき

百科事典マイペディアの解説

東海道の関。近江(おうみ)・伊勢(いせ)の国境,現在の三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)に関跡がある。愛発(あらち)・不破(ふわ)とともに古代の三関(さんかん)の一つ。789年に廃止されるが,その後も鈴鹿峠に関のあったことは知られ,近世も〈坂は照る照る鈴鹿は曇る〉の俗謡で著名。
→関連項目亀山[市]関西鈴鹿山脈鈴鹿峠関[町]三重[県]

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世界大百科事典 第2版の解説

東海道伊勢国に置かれ,古代とくに重視された三関の一つ。三重県鈴鹿郡関町にあったが遺跡は不明。国司の1人が常駐,兵器が備わり,天皇の没時や戦乱固関(こげん)のがあって閉鎖,平常も通過には国司発行の過所を要し,不法に越えると徒1年から1年半のを課すと規定された。伊賀,伊勢の国境と伊勢国府があった鈴鹿市国府町の間にあるから,東方に備えるのではなく,西方の在京する貴族官人の脱出,農民の逃亡流入を防ぎ,京の動揺が外部へ波及するのを防ぐ目的の関と考えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊勢(いせ)国(三重県亀山市関町付近)に置かれた古代の関所。美濃(みの)国(岐阜県)不破(ふわ)関、越前(えちぜん)国(福井県)愛発(あらち)関とともに三関(さんかん)の一つ。646年(大化2)の大化改新の詔(みことのり)に「関塞(せきそこ)、斥候(うかみ)、防人(さきもり)を置け」とあるのによって置かれたものであろう。672年(天武天皇1)鈴鹿関司の使が奏言したことがある。709年(和銅2)藤原房前(ふささき)が東海、東山両道の関所を検察したとき、伊勢守(かみ)が賞揚されている。元明(げんめい)天皇の崩御をはじめ、国家の大事には固関使(こげんし)が派遣された。789年(延暦8)7月、三関は廃止されたが、固関使の派遣は儀礼的に行われた。鎌倉時代にも関所が置かれていたことは『吾妻鏡(あづまかがみ)』などによって知られる。江戸時代は東海道五十三次の一宿であった。

[田名網宏]

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精選版 日本国語大辞典の解説

古代、伊勢国(三重県)と近江国(滋賀県)との境の鈴鹿峠に置かれた関所。大宝令に見える古関で、不破関・愛発(あらち)関と並ぶ三関の一つ。
※続日本紀‐宝亀一一年(780)六月辛酉「鈴鹿関西内城大鼓一鳴」
※枕(10C終)一一一「関は逢坂。須磨の関。すずかの関」

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

古代,三関 (さんかん) の一つで,伊勢国に置かれた関所。

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