別府町(読み)べふまち

日本歴史地名大系 「別府町」の解説

別府町
べふまち

[現在地名]多久市東多久町ひがしたくまち別府

長崎街道の久保田くぼた宿(現佐賀郡久保田町)から分岐した唐津街道は、小城おぎ領内を経て多久邑渋木しぶき村・別府村(古賀宿)そして別府町へ入る。てん山山系の南麓に位置し、牛津川との間に平地が開ける。この平地部の開発は古く、現在も小字名に条里制の名称を残している(→別府村。この町は平野部の中心地で、また交通の中心地に発達した町であり、商業・宿場の町でもある。

別府の地名は康和四年(一一〇二)六月の大江匡房寄進状(宇佐大鏡)に「高来別符」とあり、平安末期、すでに宇佐うさ神宮の社領として荘園化していたことが明らかである。しかし、別府の名称を伴う荘園の成立は一一世紀頃と思われるが明確ではない。荘園としての退転の時期は不明であるが、宇佐宮所領中で遠隔地にあっては南北朝期とされているので、高来別府についても一応の目安とすることができよう。いずれにしても荘園の発生に伴って呼称された別府が地名化されていることは確かである。一説に、「和名抄」所載の「小城 乎岐国府」の位置として別府を比定する論もある。

丹邱邑誌」には王朝時代のこととして、「王代ニ百合稚大伴狭手彦松浦ニテ篠原長者ノ女ヲ愛シテ生ムト云是也ヤト云人アリ。別府辺ヲ領シタルニヤ今ノ通玄院馬場内ニ百合稚調馬所ト云処アリ此人異賊征伐ヲ掌リ筑前ニテ船軍ノトキ、戦疲レ玄界島ニ前後不覚ニ寝入ラレシヲ、家臣別府太郎宗冬ト云者此ヲ棄テ別府ニ帰リ居住ス別府殿屋敷ト云畑ノ名アリ主人ノ領地ヲ奪シニヤ不詳。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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