中野貫一(読み)ナカノ カンイチ

20世紀日本人名事典 「中野貫一」の解説

中野 貫一
ナカノ カンイチ

明治〜昭和期の実業家 中野興業社長;衆院議員(憲政会)。



生年
弘化3年9月8日(1846年)

没年
昭和3(1928)年2月25日

出生地
越後国蒲原郡金津村(新潟県)

別名
幼名=弘平,号=鶴堂

学歴〔年〕
朝日実学館卒

経歴
生地越後(新潟県)蒲原郡金津村で庄屋、戸長、村長となる。幼名を弘平、のち寛一に改める。明治7年手掘り坑夫を雇い石油採掘を始め、幾度となく失敗と窮迫とを重ね、ついに新潟県蒲原地方を中心に油田開発に成功した。36年新たに米国式発掘機を用い、40年更に大規模の製油を開設し、業界の重鎮となって石油鉱業の発達に尽力した。中央石油社長、中野興業社長に就任。また豊礦石油取締役、新潟鉄物取締役、沼垂銀行取締役、新津運輸倉庫取締役を兼任。この間、内藤久寛らと共に発起人となり、21年三島郡尼頼に創設した日本石油会社の設立に尽力、のち監査役を務める。43年渡米して油田を視察する。衆院議員に当選2回。晩年は中野財団を設けて育英に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中野貫一」の意味・わかりやすい解説

中野貫一
なかのかんいち
(1846―1928)

石油鉱業の代表的企業家。越後国(新潟県)金津の庄屋(しょうや)の家に生まれる。幼名弘平。号は鶴堂。家財を投じて1874年(明治7)から原油の採掘を開始し、途中、鉱区をめぐる紛争に遭遇したが屈せず、蒲原地帯を中心に広大な油田の開発に成功、巨富を築いた。第一次世界大戦以後は、1918年(大正7)設立の中野鉱業株式会社を通じ、石油鉱業の拡充よりも株式、不動産投資による資産の増殖に努め、有力地方財閥を形成衆議院議員でもあった。

[森川英正]

『中野財団編・刊『鶴堂中野貫一翁伝』(1930)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中野貫一」の解説

中野貫一 なかの-かんいち

1846-1928 明治-大正時代の実業家,政治家。
弘化(こうか)3年9月8日生まれ。明治7年手掘りで石油採掘をはじめ,生地の新潟県蒲原(かんばら)地方を中心に油田開発に成功した。中央石油,中野興業の社長。晩年は中野財団をもうけた。衆議院議員(当選2回,憲政会)。昭和3年2月25日死去。83歳。幼名は弘平。号は鶴堂。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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