新熊野社(読み)いまくまのしゃ

改訂新版 世界大百科事典 「新熊野社」の意味・わかりやすい解説

新熊野社 (いまくまのしゃ)

京都市東山区今熊野椥ノ森町に鎮座。紀州の熊野権現を深く信仰していた後白河上皇が1160年(永暦1)熊野三所権現を洛東の院の御所法住寺殿近くに勧請し,新熊野と称したのがこの社のはじまりである。熊野御幸の先達をしばしば務めた三井寺僧覚讃(かくさん)が,同寺先覚者増誉以来代々選任されてきた熊野三山検校を受け継ぐとともに,当社の検校をも兼ねることになったので,その繁栄ぶりは著しいものがあった。これを管理する別当勝仙院(後世住心院と改称)といい,室町期以後は修験道本山派の本山聖護(しようご)院の院家(いんげ)先達を務め,諸国に多くの霞下(かすみした),同行(どうぎよう)を支配した。今の社は勝仙院晃玄(こうげん僧正が再興したもので,〈新熊野権現〉の額は照高院道晃(どうこう)法親王の筆になる。

 この東山の新熊野社のほかに,京都には古い由緒をもつ熊野権現の勧請社が2社ある。一つは左京区若王子町にある熊野若王子(にやくおうじ)神社。この社は崇徳天皇が那智権現を勧請したものと伝える。弘安年間(1278-88)亀山天皇が離宮禅林寺殿をこの社の西南のあたりに造ってより崇敬厚く,〈禅林寺の新熊野〉と称された。その後,足利尊氏がこの社を敬信擁護し,大僧正良海を留守職(るすしき)となした。別当は若王子乗々院といい,聖護院の院家先達の立場にあってしかも熊野三山奉行を務め,熊野三山検校聖護院門跡の本山修験支配統轄の事務をつかさどった。もう一つは,左京区聖護院山王町にある熊野神社。弘仁年間(810-824)に日円阿闍梨(あじやり)が勧請したと伝えられる。寛治年中(1087-94),三井寺増誉僧正がこの地に聖護院を創建し,この社をその鎮守にしたという。1179年(治承3),後白河法皇が社領若干を寄せ,1396年(応永3)には足利義満が社地を寄進した。応仁の兵火に遭い社殿を焼失したが,その後しばしば修造し,現在にいたっている。
熊野信仰
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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