日本歴史地名大系 「新藤村」の解説 新藤村しんどうむら 大分県:直入郡荻町新藤村[現在地名]荻町新藤北に滝水(たきみず)川、南は藤渡(ふじわたり)川が流れ、南北に険しい崖が連なる中間の台地に水田が開かれ、集落が形成されている。正保郷帳では藤原(ふじばる)郷に属し、田方八石余・畑方一四〇石余。弘化物成帳では葎原組のうち、村位は下、免五ツ九分、田三九石余(四町四反余)・畑六三石余(一二町九反余)・屋敷一石余(一反余)で、開田はなく、開畑一石余(三町一反余)がある。 新藤村しんどうむら 熊本県:上益城郡矢部町新藤村[現在地名]矢部町新小(しんこ)南は白石(しらいし)村、東は小(お)ヶ蔵(くら)村に接する。字新藤南(しんとうみなみ)に弥生後期の新藤南遺跡がある。正平九年(一三五四)八月一三日の肥後矢部郷村注文(阿蘇家文書)に「しんとう」とみえ、貫高は三〇貫。慶長国絵図に村名がみえる。矢部手永に属し、「国誌」に小村として平原村・南村が記される。文政九年(一八二六)の矢部手永略手鑑によれば高四七七石二斗余、田畝一五町四反二畝余・畑畝一〇町九反三畝余、竈数四四・男一一一・女一〇六、牛四二・馬四五。 新藤村しんどうむら 大分県:直入郡荻町新藤村[現在地名]荻町柏原(かしわばる)河原(かわら)川の北、橘木(たちばなき)川の南に位置する標高五五〇―五八〇メートル前後の針葉樹・広葉樹林に囲まれた静かな台地上にある。正保郷帳では柏原郷に属し、田方九石余・畑方三一石余。万治元年(一六五八)には記述がない(荻町史)。寛文元年(一六六一)の柏原組村鏡御帳(垣田家文書)では高一六四石余、男三〇・女二五、牛一五・馬七とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by