日尾村(読み)ひおむら

日本歴史地名大系 「日尾村」の解説

日尾村
ひおむら

[現在地名]小鹿野町日尾

観音かんのん山の北、赤平あかびら川水系の吉田よしだ川・長久保ながくぼ川流域に位置し、南は中飯田なかいいだ村、西は藤倉ふじくら村など、北から東は上吉田村(現吉田町)など。村の南、中飯田村境の小名根古屋ねごや(根小屋)には中世の日尾城跡がある。近世初めは幕府領、明和二年(一七六五)旗本松平領となり、幕末に至ったと考えられる(「風土記稿」「郡村誌」「寛政重修諸家譜」など)


日尾村
ひおむら

[現在地名]大山町日尾

熊野くまの川支流くろ川の左岸段丘上に位置し、東西を山に囲まれた谷間の集落地名の由来は南東に開けた日向に対して、北東に向いた土地で日陰=日尾となったらしい(大山町史)。「長棟鉱山史の研究」などに寛永八年(一六三一)長棟ながと鉛山に山師として出稼に入った者が数人あり、藩庁からの借米の記録がある。正保郷帳の高一六七石余、田方七町余・畑方四町一反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高二〇三石、免五ツ、小物成は山役二六匁・鮎川役六匁(三箇国高物成帳)。天保一一年(一八四〇)の高免帳(杉木家文書)によれば、元禄五年(一六九二)の川崩れで六六石が減石となり、享保八年(一七二三)四石、天保九年八石の増石があり、草高一四九石となる。


日尾村
ひおむら

[現在地名]金沢市日尾町

犀川最上流域の谷間に位置したが現在は廃村となっている。当村および犀川水系最上流域の山中に点在する見定けんじよう村・二又ふたまた村・倉谷くらたに村の合せて四ヵ村は奥(山奥)四ヵ村または倉谷四ヵ村と一括してよばれていた。元禄一五年(一七〇二)一二月の倉谷四ヵ村肝煎書上(加藩国初遺文)によれば、この四カ村は前田利家の陣中杣役を勤め、それによって天正一二年(一五八四)五月利家より諸役免除の判物を下付された。これに対して村方からは、毎年六月一日、金沢城に氷を献上するようになり、寛永一三年(一六三六)には三代藩主前田利常からも同様の判物を下され、元禄五年までは氷献上を勤めたという。また承応三年(一六五四)の四ヵ村肝煎書上(国用雑抄)によれば、四ヵ村は小田原攻めや大坂の陣、大坂城普請役にも従い、利常のもとで木登り杣が召出されていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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