金沢市丸の内にあり、1583年に前田利家が入城し、江戸時代には前田氏の居城だった。国の史跡に指定され、一帯は金沢城公園として整備されている。1602年に天守閣が落雷による火災で焼失し、その後は再建されなかった。「石垣の博物館」と呼ばれ、藩主の御殿や庭園周りにはデザイン感覚にあふれる石垣群があり、形や大きさが多種多様な石垣が園内で見られる。外庭であった兼六園と合わせ、金沢観光の中心。
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戦国期~江戸期の城。石川県金沢市丸の内にあり、「加賀百万石」といわれる前田氏累代の居城である。城は加賀平野のほぼ中央、丘陵を背負い、犀(さい)川と浅野川の二つの川に挟まれた狭長な小立野(こだつの)台地に位置している。金沢城の前身は、加賀一向一揆(いっこういっき)の拠点となっていたことで知られる尾山(おやま)御坊で、1580年(天正8)柴田勝家(しばたかついえ)の甥(おい)佐久間盛政(もりまさ)が攻略し、御坊の跡地をそのまま城として用い尾山城と称した。ついで勝家の没落後は前田利家(としいえ)が入り、83年に城を修築して金沢城と改めた。以来、前田氏が子孫相継いで幕末に至ったが、天守閣は1602年(慶長7)落雷によって焼失後は再建されず、「三階櫓(やぐら)」とよばれる櫓が置かれただけであった。城内の建造物は大小30回に余る火災によってほとんど失われ、わずかに石川門と三十間長屋が残るだけである。なお、旧蓮池(はすいけ)(百間堀)を隔てた所にある兼六園(けんろくえん)は城郭付属の庭園である。
[小和田哲男]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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