鎌倉番役
かまくらばんやく
鎌倉幕府(将軍の御所)の諸門の警固役。鎌倉大(おお)番役、あるいは侍所(さむらいどころ)に詰めて侍所別当(べっとう)・所司(しょし)の統轄下に勤番したので侍所大番、侍大番ともいう。幕府成立の当初より存在したと思われるが、史料上の初見は1223年(貞応2)で、制度として確立したのは、大番役が整備された承久(じょうきゅう)の乱後の1225年(嘉禄1)ごろである。大番役とは異なり、遠江(とおとうみ)以下東国15か国の御家人(ごけにん)のみが勤仕し、期間も短く1か月ないし2か月で交替した。なお鎌倉番役に類似したものに近習(きんじゅう)番、廂(ひさし)番などの将軍の御所内の宿衛にあたる御所内番役があるが、これは在鎌倉御家人が小侍所の統轄下に勤仕した。
[小山靖憲]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
鎌倉番役
かまくらばんやく
鎌倉幕府の御家人役。おもに鎌倉大番役をさすが,御家人が鎌倉で勤める番役全体を包括して用いることもある。源頼朝の頃から関東番役・当番という将軍警固の番役があったが,その後,番役の制も整備され,1225年(嘉禄元)将軍御所の東西の侍(さむらい)(御家人の詰所)に東国15カ国の御家人と北条氏以下の有力御家人とを分属させた。すなわち西侍の東国御家人は侍所の指揮下に鎌倉大番役を勤め,東小侍(こざむらい)の特定御家人は,小侍所の管轄下に将軍御所内の番役や将軍供奉(ぐぶ)随兵役に従うこととなった。将軍御所内の番役には,近習番・格子(こうし)番・問見参(もんげざん)番・廂(ひさし)番などがあり,番衆は御所に宿侍したが,13世紀後半からしだいに形式化した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
鎌倉番役
かまくらばんやく
鎌倉時代,幕府の御家人役の一つ
御家人が侍所などに属し,順番で宿直・警備などに奉仕する諸役。廂 (ひさし) ・学問所・問見参・昼・近習・御格子などの諸番および大番役があった。なかでも幕府の警備と諸門の守護にあたった鎌倉大番役は最も重視された。将軍源頼朝のとき,関東番役と称していたが,4代将軍九条頼経のころ京都大番役にならって鎌倉大番役とし,勤番の規定も設けられた。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の鎌倉番役の言及
【鎌倉大番役】より
…鎌倉時代の幕府諸門等警固のための番役。単に鎌倉番役ともいう。源頼朝の代から侍所の統轄の下に,関東番役または当番と称して御家人が交替で警固に当たる役はあったが,大番の名称が用いられるようになったのは1219年(承久1)藤原頼経下向後のことである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」