日置北郷(読み)ひおきほくごう

日本歴史地名大系 「日置北郷」の解説

日置北郷
ひおきほくごう

鎌倉時代初期に成立した近衛家領で、現在の日吉町域に比定される。「ひおきほんごう」ともいい、日置は「へき」とも読む。文治三年(一一八七)三月日の平重澄寄進状案(島津他家文書)に日置北郷とみえ、平重澄(重純)島津庄寄郡であった先祖相伝の所領である当地を、伊作いざくおよび日置南ひおきなん郷の外小野そとおの(翌年伊作庄として立券)とともに摂関(近衛)家に寄進し、ここに島津庄では数少ない一円庄としての日置北郷が成立する。建久三年(一一九二)一〇月二二日、鎌倉幕府は当郷などを所領としていた阿多四郎宣澄を平家謀反の時の張本人であるとして所職を停止し、島津忠久を当郷などの地頭に任じた(「関東御教書案」島津家文書)。薩摩国建久図田帳には島津庄一円領内の没官領として「日置北郷七十町 本郡司小藤太貞隆」とみえる。阿多宣澄と平重澄は同一人または密接な関係があったと考えられるが、重澄は寄進後まもなく排され、下司職は重澄の兄弟である親純の系統に相伝されていく(「伊作庄并日置郷下司系図」島津家文書)承久の乱後は奈良興福寺一乗いちじよう院が領家となった。地頭職は島津忠久―忠時―久経と惣領家に伝えられ、惣地頭職の分割に伴って庶流久長の子孫である伊作島津氏に相伝される(以上、元徳元年一〇月五日「鎮西下知状」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「日置北郷」の意味・わかりやすい解説

日置北郷【ひおきほくごう】

日置荘

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