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日野江城跡

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

日野江城跡

大名だった有馬氏が1614年まで居城とした山城跡。13世紀か14世紀の築城とみられるが、史料が乏しく、全容は解明されていない。有馬晴信の時代には、イエズス会中等教育機関のセミナリオを城下に持ち、天正遣欧使節も学んだ。1982年の国史跡指定を受け旧北有馬町が半分以上を買収。95〜00年の発掘調査で、金ぱく瓦や海外の技術を使った石垣などが見つかった。07年1月に世界文化遺産登録に推薦するための暫定リストに「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして追加された。無許可工事では、06年3月に文化庁が当時の町長らを文化財保護法違反容疑で刑事告発。現在も捜査が続いている。

(2007-02-04 朝日新聞 朝刊 長崎 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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国指定史跡ガイドの解説

ひのえじょうあと【日野江城跡】


長崎県南島原市北有馬町にある城跡。島原半島の東南部、有馬川河口に面した火山性扇状地の末端、標高78m付近を本丸とする戦国大名有馬氏の居城跡。日本キリスト教史初期の中心地として重要なことから、1982年(昭和57)に国の史跡に指定された。有馬氏は、建保年間(1213~19年)ごろ、肥前国有馬荘の地頭に補任(ぶにん)され、その後戦国大名として頭角を現し、キリシタン大名として著名な晴信のころには肥前の大半を領有するまでにいたったが、当時の居城である日野江城がいつごろ築かれたものかは不明。現存する城は戦国時代の山城で、本丸を中心に、多くの曲輪(くるわ)が階段状に配されている。大手は東側と推定され、本丸の下まで一挙に上がる100m以上におよぶ階段遺構が発掘され、中国陶磁器や金箔瓦、土師器(はじき)なども出土した。有馬氏の後に入封した松倉重政が島原城を築く際、日野江城の石垣を搬出したため城は廃され、今日にいたっている。島原鉄道島原駅から島鉄バス「日野江城入口」下車、徒歩約5分。

出典|講談社
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