旧滝沢本陣(読み)きゆうたきざわほんじん

日本歴史地名大系 「旧滝沢本陣」の解説

旧滝沢本陣
きゆうたきざわほんじん

[現在地名]会津若松市一箕町八幡 滝沢

白河街道(旧国道四九号)滝沢峠の登り口に、近世において滝沢組郷頭を勤めた横山家の旧滝沢本陣がある。滝沢村はもと三町ばかり西にあったが、文禄四年(一五九五)現在地に移ったといい(新編会津風土記)、横山家もこの頃に移ったとみられる。初代の三郎盛茂は元和九年(一六二三)の没である。延宝四年(一六七六)には四代関右衛門が藩より滝沢里組一一ヵ村の郷頭を拝命し、以来明治元年(一八六八)に至っている。正徳二年(一七一二)の家蔵古文書覚書によると、住宅の建築年代は「三拾六年前延宝六年午之年小奉付舟尾久太夫殿御付御普請被仰付候事」とあるから、延宝六年と推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「旧滝沢本陣」の解説

きゅうたきざわほんじん【旧滝沢本陣】


福島県会津若松市一箕(いっき)町にある会津藩の本陣跡。17世紀後半以降、歴代会津藩主が参勤交代、領内巡視、藩祖保科正之の墓所がある土津(はにつ)神社への参詣に利用した。現存する本陣建物は、1678年(延宝6)に建てられたもので、ほとんど原形を保っている。また、名子(主家に隷属した農民)が住んだ名子屋の建物も残存している。1970年(昭和45)、これらを含めて旧本陣の敷地が国の史跡に指定された。歴代藩主の身の回り品、参勤交代の道具類、古文書などが残る。茅葺きの屋根におおわれた書院造りの建物は、主屋と座敷が国の重要文化財となっている。戊辰(ぼしん)戦争では、9代藩主松平容保(かたもり)がここに陣を敷き、白虎隊が護衛した。建物の随所弾痕や刀傷も残っている。JR磐越西線会津若松駅から会津バス「滝沢前」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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