明治三陸津波(読み)めいじさんりくつなみ(その他表記)Sanriku Tsunami of 1896

共同通信ニュース用語解説 「明治三陸津波」の解説

明治三陸津波

1896年6月15日午後7時半過ぎ、三陸沖を中心マグニチュード8・2とされる地震が発生し、大津波が沿岸部を襲った。内閣府などによると、岩手県を中心に死者は計約2万2千人、6500棟超の家屋流失。津波の最大高は約38メートルを記録した。

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海の事典 「明治三陸津波」の解説

明治三陸津波

1896年(明治29年)6月15日、三陸沖のマグニチュード7.6の地震によって起こされた津波で、三陸町綾里で38.2mの遡上高を記録した。宮城県 から北海道まで大きな被害を受け、文献により多少の差があるが、死者数は21,894人に達したとされる。この地震は典型的な津波地震(ぬるぬる地震) で、地震のマグニチュードが比較的小さいが、津波の規模は、明治以後わが国を襲った津波の中で最大である。 (永田

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