日本大百科全書(ニッポニカ) 「曹仁」の意味・わかりやすい解説
曹仁
そうじん
(168―223)
中国、三国魏(ぎ)の武将。字(あざな)は子孝(しこう)。沛(はい)国譙(しょう)県(安徽(あんき)省亳州(はくしゅう)市)の人。曹操(そうそう)の従弟(いとこ)。挙兵以来、曹操に従い、方面軍指令官を歴任した。208年、赤壁(せきへき)の戦いで敗れた後に、攻め寄せた呉(ご)の周瑜(しゅうゆ)と、江陵(こうりょう)で戦った。配下の牛金(ぎゅうきん)が数千の敵兵に包囲されたところを精鋭数十騎を率い、包囲網を破って救出、「天上世界の人」とその功績をたたえられた。樊城(はんじょう)を蜀(しょく)の武将関羽(かんう)に包囲されたときには、折からの長雨による漢水(かんすい)の氾濫(はんらん)を利用され、水攻めを受けた。しかし曹仁は、城内を激励して必死の覚悟を示し続けたため、将兵は感動して二心をもつ者はなく、徐晃(じょこう)の援軍がくるまでもちこたえた。文帝(ぶんてい)曹丕(そうひ)が即位すると、車騎(しゃき)将軍・都督荊揚益三州(ととくけいようえきさんしゅう)諸軍事に任命され、呉に対する方面軍指令官となった。夏侯惇(かこうとん)の死後は、軍部の最高職である大将軍(だいしょうぐん)についた。『三国志演義』では、徐庶(じょしょ)に「八門金鎖(はちもんきんさ)の陣」を破られ、諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))の火攻めに大敗するなど、蜀の引き立て役とされている。
[渡邉義浩]
『渡邉義浩著『「三国志」武将34選』(PHP文庫)』