中国、後漢(ごかん)末期の208年、曹操(そうそう)と、孫権・劉備(りゅうび)の連合軍とが湖北省嘉魚(かぎょ)県の西にあたる赤壁で行った戦い。袁紹(えんしょう)を討って華北の平定に成功した曹操は、208年丞相(じょうしょう)となり、南下して劉表の領土になっていた荊州(けいしゅう)を攻めた。劉表の子は曹操に降(くだ)り、表の客分であった劉備は、いったん南に逃れたが、諸葛亮(しょかつりょう)(孔明)の活躍で孫権との同盟に成功した。孫権の部下のなかには曹操に降伏しようと説く者もあったが、周瑜(しゅうゆ)、魯肅(ろしゅく)が孫権に、劉備と同盟して荊州を占領することを勧めたのである。孫権の武将黄蓋(こうがい)は火攻めの計を案出し、鎖でつないだ曹操の軍艦に火をかけ焼き払った。そして陸に逃げた曹操の軍は関羽(かんう)の軍に破られ、さらに疫病も流行していたので曹操は北に帰り、天下三分のもとがつくられた。
[狩野直禎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
208年劉備(りゅうび)と孫権(そんけん)の武将周瑜(しゅうゆ)の連合軍が,南下する曹操(そうそう)の大軍を迎え撃った戦い。呉の武将黄蓋(こうがい)の火攻めの計で曹操は大敗し,天下3分の形勢が決まった。赤壁は今の湖北省嘉魚(かぎょ)県,長江左岸。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新