曽根遺跡群(読み)そねいせきぐん

国指定史跡ガイド 「曽根遺跡群」の解説

そねいせきぐん【曽根遺跡群】


福岡県糸島市有田・曽根にある古墳群。指定名称は「曽根遺跡群 平原遺跡(ひらばるいせき) ワレ塚古墳(ワレづかこふん) 銭瓶塚古墳(ぜにがめづかこふん) 狐塚古墳(きつねづかこふん)」。糸島平野の南北に延びる曽根丘陵上に位置し、平原遺跡、ワレ塚古墳、銭瓶塚古墳、狐塚古墳が、ほぼ南北に並んで所在する。1982年(昭和57)に国の史跡に指定され、2000年(平成12)に追加指定を受けた。平原遺跡からは方形周溝墓3基、円形周溝墓2基が検出され、1号墓と呼ばれる方形周溝墓は東西約14m、南北約10.5mあり、幅2m前後の周溝をめぐらし、墓坑の中心に長さ3m、幅75cmの割り竹形木棺が埋葬されていた。築造は弥生時代末期ごろと考えられている。この墳墓からは40枚の銅鏡、瑪瑙管玉(めのうくだたま)や多量のガラス製品など、多数の副葬品が出土し、出土品は2006年(平成18)、「平原方形周溝墓出土品」の名称で、国宝に指定されている。とくに、直径46.5cmの日本で一番大きい大型銅鏡は仿製鏡(ぼうせいきょう)(日本製の銅鏡)で、鮮明な文様はこれまでの小型仿製鏡とは技術の違いをみせている。これら多量の副葬品群は国際色豊かで、その多くが装飾品であることから、女王の墓ではないかと考えられている。ワレ塚古墳は全長約43mの前方後円墳で、後円部の径約29m、高さ約4.5m、前方部の長さ約15m、高さ約0.6mで、前方部が後円部に比べてかなり低くなっている。葺石(ふきいし)がほどこされ、周溝がめぐっていたと考えられ、発掘調査は行われていないので、埋葬施設は不明。銭瓶塚古墳も埋葬施設が不明であり、前方部と後円部の一部が道路によって壊されているが、全長約50mの前方後円墳で、後円部の径約37m、高さ約5m、前方部の長さ約16m。幅約6mの周溝から円筒埴輪(はにわ)、朝顔形埴輪、形象埴輪が出土した。丘陵の東端にある狐塚古墳は、墳丘の直径約33mの円墳で、葺石と周溝が確認された。埋葬施設は横穴式石室竪穴(たてあな)式石室で、長さ2.6mの横穴式石室は板石で4区画に区切られ、刀子、鉄鏃(てつぞく)、鉄斧(てっぷ)などが出土している。現在、平原遺跡周辺は平原歴史公園として整備され、出土品は糸島市立伊都国歴史博物館に展示されている。JR筑肥線筑前前原駅からコミュニティバス「平原古墳入口」下車徒歩約3分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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