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伴林光平 ともばやし みつひら

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美術人名辞典の解説

伴林光平

幕末の勤王家。別名は光衡・充平、号は蒿斎・斑鳩隠士、法名を周永、大雲坊と称する。武技・儒学・国学・和歌を修め、一家を成す。また天誅組を組織し、十津川で挙兵したが敗れた。元治元年(1864)歿、52才。贈従四位。

出典|(株)思文閣
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デジタル大辞泉の解説

ともばやし‐みつひら【伴林光平】

[1813~1864]江戸末期の勤王家・国学者。河内(かわち)の人。天誅組(てんちゅうぐみ)に加わり、中山忠光らの大和挙兵に参加、捕らえられて刑死。著「南山踏雲録」など。ばんばやしみつひら。

ばんばやし‐みつひら【伴林光平】

ともばやしみつひら

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伴林光平 ばんばやし-みつひら

ともばやし-みつひら

伴林光平 ともばやし-みつひら

1813-1864 江戸時代後期の国学者,歌人。
文化10年9月9日生まれ。もと浄土真宗の僧。飯田秀雄,伴信友らにまなぶ。文久3年天誅組(てんちゅうぐみ)の挙兵に参加するが捕らえられ,4年2月16日京都で刑死。52歳。河内(かわち)(大阪府)出身。本姓は鈴木。通称は六郎。変名は並木春蔵。姓は「ばんばやし」ともよむ。著作に「稲木抄」「南山踏雲録」など。
【格言など】かやの実の嵐に落つるおとづれにまじるも寒し山がらの声(「光平歌集」)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

伴林光平

没年:元治1.2.16(1864.3.23)
生年:文化10.9.9(1813.10.2)
幕末の志士。通称は六郎。号は斑鳩隠士,岡陵,蒿斎など。河内国志紀郡林村(大阪府藤井寺市)の浄土真宗尊光寺賢静の次男。文政11(1828)年に上京。西本願寺学寮に入り仏学を修める。以後,摂津の中村良臣,僧無盖,因幡の飯田秀雄,紀伊の加納諸平,江戸の伴信友らに国学,和歌などを学ぶ。この間に還俗して伴林六郎光平と名乗った。京都を中心に志士と交わり,開国後は攘夷論を唱える。文久1(1861)年に大和中宮寺の家士となり,皇陵の復興に情熱を燃やして山陵調査を行い,朝廷から感謝状を受けている。変名並木春蔵を使って志士活動を展開し,同3年8月天誅組の大和挙兵に加わる。軍参謀兼記録方を務め十津川郷その他に檄文を送って参加者を募る。諸藩兵と戦うが白銀峰や和田峰などで敗れ,京都に向けて逃走中に捕らえられ,翌年同志二十数名と共に京都六角獄において斬刑に処された。大和挙兵参加の始終を獄中で記した『南山踏雲録』その他の著作がある。<参考文献>佐佐木信綱編『伴林光平全集』全1巻,土橋真吉『伴林光平』

(高木俊輔)

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世界大百科事典 第2版の解説

ともばやしみつひら【伴林光平】

1813‐64(文化10‐元治1)
幕末の勤王僧,国学者。〈ばんばやし〉とも。変名は並木春蔵,斑鳩隠士など。河内国南河内郡道明寺村尊光寺に生まれる。摂津の中村良臣,因幡の飯田秀雄,紀伊の加納諸平,江戸の伴信友などに学ぶ。1862年(文久2)大和国中宮寺の家士となり,山陵修復に尽力。翌年8月天誅組の大和挙兵に加わり,参謀兼記録方を務める。敗軍で逃走中捕らわれ,64年2月京都の獄中で死刑に処された。【高木 俊輔】

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大辞林 第三版の解説

ともばやしみつひら【伴林光平】

1813~1864) 江戸末期の国学者・勤王家。河内の人。真宗の僧であったが、国学を加納諸平・伴信友らに学び、還俗げんぞく。天誅組てんちゆうぐみに参加、斬罪に処される。著「南山踏雲録」「園能池水そののいけみず」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伴林光平
ともばやしみつひら

「伴林光平 (ばんばやしみつひら)」のページをご覧ください。

伴林光平
ばんばやしみつひら

[生]文化10(1813).9.9. 河内
[没]文久4(1864).2.16. 京都
幕末の勤王家,国学者。法名は大雲坊周永,通称は六郎。浄土真宗尊光寺に生れ,天保9 (1838) 年国学僧,無盖の紹介で因幡国の加知弥神社の神官,飯田秀雄を知り国学や和歌を学んだ。これを契機に僧職を退き還俗。

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世界大百科事典内の伴林光平の言及

【伴林光平】より

…幕末の勤王僧,国学者。〈ばんばやし〉とも。変名は並木春蔵,斑鳩隠士など。河内国南河内郡道明寺村尊光寺に生まれる。摂津の中村良臣,因幡の飯田秀雄,紀伊の加納諸平,江戸の伴信友などに学ぶ。1862年(文久2)大和国中宮寺の家士となり,山陵修復に尽力。翌年8月天誅組の大和挙兵に加わり,参謀兼記録方を務める。敗軍で逃走中捕らわれ,64年2月京都の獄中で死刑に処された。【高木 俊輔】…

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