日本大百科全書(ニッポニカ) 「最適通貨圏」の意味・わかりやすい解説
最適通貨圏
さいてきつうかけん
optimum currency area
個々の通貨をもつよりも、単一の通貨による単一の金融政策で経済運営を行ったほうが、デメリットよりメリットの大きい経済圏のことをいう。あるいは、為替(かわせ)相場による調整が不可能ななかで、単一の金融政策で適切な経済運営が可能な経済圏のことといってもよい。
単一通貨導入のメリットは、為替リスクの解消、外国為替取引に伴うマージンの消滅、共通価格表示による価格の透明性、通貨統合とともに市場統合が進展し、規模の経済や競争の激化による経済の効率化が進展すること、国際通貨としての地位が向上することなどが指摘できる。
反面、単一通貨が導入された地域では、各国間の不均衡を為替相場によって調整できなくなること、さらに単一の金融政策しか講じることができず、もし各国間に決定的な経済格差(景気のずれによる失業やインフレ格差)が生じた場合は、その経済圏が崩壊する危険性をはらむことになる。そこで、そのようなことがおこらないような最適経済圏の条件が、コロンビア大学のロバート・マンデル(1932― )やスタンフォード大学のロナルド・マッキノン(1935― )といった研究者によって提示されてきた。主なものは、次のように整理できる。
(1)非対称的ショックが生じないような同質的、類似的経済であること
まず第一は、各国において、異なった経済的ショックが生じないことが重要である。共通通貨圏の国において、種々の経済的なショックが発生しても、各国での景気動向などに格差がおこらなければ、同一の金融政策で対処可能である。しかし、たとえば何らかの理由で原油価格の高騰がおこった場合、メンバー国に産油国と非産油国があれば、相互の経済動向に格差が生じてしまうであろう。このようなショックを「供給ショック」というが、それのみではなく、突然特定商品に対する需要ブームがおこり、「需要ショック」が加わることも考えられる。
こうした経済的なショックがおこっても、メンバー国の経済がきわめて同質性、類似性を有しているならば、大きな経済格差が発生することはなく、単一的な金融政策で十分対処できるため、最適通貨圏としての条件を備えているといえる。
(2)貿易面で経済が十分開放されていること
経済が十分同質的、類似的でないため非対称的ショックが発生したとしても、各国間において、市場メカニズムを通じて自動的に均衡を回復する力が作用するならば、最適通貨圏の条件が満たされているといってよい。
いま、非対称的なショックが需要面で発生し、ある国の生産物から他国の生産物へと需要がシフトした場合、もし財市場の価格メカニズムが正常に作用し、需要が増大した国の財価格が上昇、減少した国の財価格が下落するならば、為替相場は消滅していても価格競争力が変化するため、貿易を通じて均一化が図れる。このため、マッキノンは貿易面で、その経済圏が十分開放されており、貿易取引を通じて経済動向の均一化が図れることを重視した。
(3)労働力移動が十分であること
市場メカニズムによる均衡回復要因として、労働力の移動を重視したのが、マンデルである。ある国で生産性向上、他方で生産性低下という非対称的な「供給ショック」が生じた場合には、生産性の向上した国の競争力が増し、低下した国の競争力は後退するため、貿易を通じて調整はできない。その際には、生産性が低下して景気が悪化している国から、生産性向上で景気が好転している国へ、生産要素の労働自体が移動することによって、均一化が図れるため、最適通貨圏の条件の一つとされている。
しかし、現在単一通貨を導入しているユーロ域でさえ、言語の相違などから労働移動はきわめて限定的であるといわれている。その場合でも、もし労働市場が十分弾力的であれば、賃金の変化によって、各国間の失業率格差を緩和できるが、賃金の下方硬直性があることは明らかであり、労働市場の改革が必要とされている。
(4)財政を通じた資金の再配分が可能なこと
市場メカニズムによる均衡回復機能を補完する条件として、その経済圏全体としてのレベルで、財政による資金移動がなされ、各国経済の均一化を図ることが可能であれば、最適通貨圏の条件は満たされる。各国間の経済格差を財政政策によって是正できる仕組みが備わっているならば、金融政策が一本化されていても、適切な経済運営を行いうるからである。
以上の議論に基づいて、EUやアジアについて、最適通貨圏の条件を満たしているか否かの実証研究が多数なされている。EUについては、そもそも経済の同質化、一体化が進んでおり、非対称的ショックの発生危険性が少ないこと、均衡回復メカニズムが充実しつつあることなどから、最適通貨圏に近づきつつあるとの主張が多い。しかし、東方拡大が進展しつつあるなかで、その維持可能性を懸念する声もある。アジアについては、実証分析では「アジアの一部地域は、少なくとも通貨統合前のヨーロッパと同程度には最適通貨圏の条件を満たしているようにみえる」との結果が多いが、短期的な景気のずれや長期的な発展段階の違い、経済・貿易構造の違いが大きく、分析結果を疑問視する声も少なくない。
[中條誠一]