月桂寺(読み)げつけいじ

日本歴史地名大系 「月桂寺」の解説

月桂寺
げつけいじ

[現在地名]臼杵市二王座 二王座

臼杵市街地を北に望む舌状台地の東端部、神木原かみのきばるにある。清光山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。江戸時代は海添かいぞえ村に属したというが(臼杵小鑑)、天保八年(一八三七)の仁王座村絵図(臼杵図書館蔵)では仁王座におうざ村の内に描かれている。天正一〇年(一五八二)稲葉良通(一鉄)が美濃国大野おおの長良ながら(現岐阜県揖斐川町)で正室月桂周芳の菩提を弔うため湖南開山として月桂院を建立したのが始まりという。慶長五年(一六〇〇)稲葉貞通の臼杵入部ののち、同一三年二代稲葉典通が当地に定光じようこう院を建立、湖南を招いて開山とした。元和五年(一六一九)典通が清光山月桂禅寺に改称したという(寺社考)

月桂寺
げつけいじ

[現在地名]新宿区河田町

河田かわだ町の北東部にある。正覚山と号し、臨済宗円覚寺派。本尊は釈迦如来。江戸時代には喜連川家や柳沢家の菩提所として隆盛を誇った。開基豊臣秀吉の妾で、古河義氏の女とも喜連川国朝の女ともいわれる月桂院。当寺は寛永九年(一六三二)に開山関叔が「市谷稲荷屋敷」に庵を結んだことに始まる。同一一年、同所が堀普請御用地となったため、当地で二千三〇〇余坪を拝領して移転、遠渓山平安寺と号して一寺をなした。この時月桂院は知行高二〇〇石のうち一〇〇石を仏供料として寄せたが(寺社備考)、慶安三年(一六五〇)には下野国大槻おおつき(現栃木県矢板市)のうちで朱印寺領高一〇〇石を与えられている(寛文朱印留)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報