織田有楽を流祖とする茶道の流派の一つ。千利休(せんのりきゅう)の門弟として茶法の伝授を受けた有楽は、それを次男の頼長(よりなが)(1582―1620)に伝えた。頼長は1614年(慶長19)の大坂冬の陣に、有楽より徳川方につくように勧められたが従わず、河内(かわち)に隠棲(いんせい)して雲生寺道八(どうはち)と号した。その後京都に出て東山の円山に「左阿弥(さあみ)」を建てて移り住んだという。さらに息子の三五郎(さんごろう)(?―1651)は、父祖以来の名物茶器を愛好し、『織田三五郎遺品分配目録』を遺書として残した。その後、有楽の茶法は三五郎より信長の孫織田貞置(さだおき)(1617―1704)に伝授されたため、貞置流とも称されるようになった。貞置は徳川将軍家に伝えて1000石を知行し、松本見休(けんきゅう)らの門弟を育てたが、貞置流としてはその後衰微した。有楽流は現在、織田長繁(ながしげ)家元を中心にして関東方面に存続している。
[筒井紘一]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…大坂夏の陣の前に大坂城を退去,その後京都建仁寺に隠棲して茶の湯に親しむ。千利休門下として秀吉の茶会にもしばしば出席,利休なきあと茶の宗匠と称されるなど当代一流の茶人で,有楽流を開いた。【久留島 典子】。…
※「有楽流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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