有福村(読み)ありふくむら

日本歴史地名大系 「有福村」の解説

有福村
ありふくむら

[現在地名]江津市有福温泉町ありふくおんせんちよう

那賀郡山間部にあり、北は千田ちだ村、東は阿刀市あといち村・本明ほんみよう村、西は下有福村(現浜田市)。村の中央部をうや川の上流加志岐かしき川が西流し、宇屋川うやがわ村へ出る。往古は下有福村とともに一村を構成していたようで、元和五年(一六一九)の古田領郷帳では有福村とみえ、高四七〇石余、年貢高は田方一九八石余・畑方四九石余。正保四年(一六四七)の古田領郷帳では上有福村とあり、高二一九石余、免五ツ四歩。


有福村
ありふくむら

[現在地名]上下町有福

上下村の北にあり、東は小塚おづか小堀こほりの両村、西南本郷ほんごう(現甲奴町)に接する。平安時代末期には成立していたと思われる京都賀茂別雷かもわけいかずち神社領有福庄の地で、その荘園鎮守社である賀茂神社を中心に早くから開かれていたと思われる。中世に入っても有福の地は付近の中心であったらしく、備後国守護土肥実平が有福に城を構えたともいわれる。天正一九年(一五九一)九月二五日付の有福源介宛の毛利氏奉行人連署打渡状(有福文書)に、有福氏に打渡された「神怒并世良郡」の一九五・六四五石のうちに、有福村一四二・八四石が記される。


有福村
ありふくむら

[現在地名]佐世保市有福町

江上えがみ村の北に位置し、東から北にかけては早岐はいき瀬戸に臨む。江戸時代は平戸藩領。正保国絵図に有福村とあり、高八〇石余。明暦二年(一六五六)の畑方帳抜書では針尾はりお村内に有福免と記される。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳では指方さしかた村枝村として高八〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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