有里村(読み)ありさとむら

日本歴史地名大系 「有里村」の解説

有里村
ありさとむら

[現在地名]串良町有里

串良郷上小原かみおばる村の北、南流する甫木ほのき川の上流から中流域にある。東部は笠野原かさのはら台地東端を南流する串良川低地、西部は笠野原台地からなり、南東は同郷岡崎おかさき村、東は同郷岩弘いわひろ(現東串良町)。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳に村名がみえ、高二千六五石余。「三州御治世要覧」では延享(一七四四―四八)頃の高二千七三三石余。延享二年には検地・門割が実施された(「門割ニ付境踏付留帳写」福元家文書)。旧高旧領取調帳では高二千七〇九石余。文化七年(一八一〇)五月二二日伊能忠敬一行は岡崎村枝村池之原いけのはら(現東串良町)から上使街道へ出て高隈たかくま(串良川、渡幅一五間)を渡り、当村、小原おばる(下小原村)上原うえはら(上小原村)と測量している(伊能忠敬測量日記)。「九州東海辺沿海村順」では家数三一一軒、うち二八軒が中原なかはら、ほかに郷士二六軒。往還地先ばかり三町余で北へ八町余入るところに在住とある。笠野原台地には串良郷と鹿屋かのや郷を結ぶ松並木の大道や、諸邑往来の岐路があったものの(三国名勝図会)、大部分には雑木林や原野が広がっていた。


有里村
ありさとむら

[現在地名]糸貫町有里

随原ずいはら村の北に位置し、やぶ(根尾川)糸貫川に挟まれた緩傾扇状地平野に立地。村内を小弾正井こだんじようい(五ヵ村井水川)が南流。暦応元年(一三三八)一一月二二日の光厳上皇院宣(水無瀬神宮文書)に「美濃国有里」がみえ、上皇は水無瀬みなせ神宮(現大阪府三島郡島本町)の御影堂料所として寄進している。長享三年(一四八九)二月五日の某注進状案(宝鏡寺文書)に京都宝鏡ほうきよう寺領美濃国国衙領本巣九郷内の「あり里」がみえる。


有里村
ありさとむら

[現在地名]生駒市有里町全域、および青山台あおやまだいの一部

小倉寺おぐらじ村東方、竜田たつた川西部にあり、慶長郷帳には「在里村」と書き、村高は二一九・四三二石。近世の初め幕府領(うち一〇〇石の代官は角南重勝。一一九・四三二石は大久保長安)。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領に編入され、同藩の二割半無地高増政策により村高は二七四・七九石となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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