望月小太郎(読み)モチヅキ コタロウ

20世紀日本人名事典 「望月小太郎」の解説

望月 小太郎
モチヅキ コタロウ

明治期の政治家 衆院議員(新党倶楽部);英文通信社社長。



生年
慶応1年11月15日(1866年)

没年
昭和2(1927)年5月19日

出生地
甲斐国南巨摩郡身延村(山梨県)

学歴〔年〕
山梨師範〔明治15年〕卒,慶応義塾卒,ロンドン大学卒,ミッドル・テンプル大学法科卒

主な受賞名〔年〕
勲三等

経歴
山県有朋の推薦英国留学、ロンドン大学など卒業後も留まって「日英実業雑誌」を発行。のち欧州各国を巡遊して帰国。明治29年山県有朋に随行してロシア皇帝戴冠式に出席、30年伊藤博文に従い英国ビクトリア女王即位60年式典参列。また大蔵省農商務省嘱託で欧米各国を視察。35年以来山梨県から衆院議員当選7回、はじめ立憲政友会に属したが、大正4年以後は立憲同志会、憲政会に所属。この間、日露戦争後、英文通信社を創立し、「日刊英文通信」「英文日本財政経済月報」を発行、欧米各国に日本事情を紹介した。著書に「独逸現勢」、英文「日本と亜米利加」「現時の日本」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「望月小太郎」の解説

望月 小太郎
モチズキ コタロウ


肩書
衆院議員(政友会),英文通信社社長

生年月日
慶応1年11月(1865年)

出生地
甲斐国南巨摩郡身延村(山梨県)

学歴
山梨師範卒 慶応義塾卒 ロンドン大学卒 ミッドル・テンプル大学法科卒

経歴
英国に留学、ロンドン大学など卒業後も留まって日英実業雑誌を発行。のち欧州各国を巡遊して帰国。明治29年山県有朋に随行してロシア皇帝戴冠式に出席、30年伊藤博文に従い英国ビクトリア女皇即位60年式典参列。また大蔵省などの嘱託で米国を数回視察。35年以来山梨県から衆院議員当選7回、立憲政友会に属した。この間英文通信社を創立し、「日刊英文通信」「英文財政経済日報」を発行した。著書に「英文日本と亜米利加」「現時の日本」などがある。

受賞
従五位勲三等

没年月日
昭和2年5月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「望月小太郎」の解説

望月小太郎

没年:昭和2.5.19(1927)
生年:慶応1.11.15(1866.1.1)
明治大正期の政党政治家,民間外交家。甲斐国(山梨県)身延に庄屋の子として生まれるが,維新後,家は零落。彼は山梨師範学校から慶応義塾に入学,中井弘の紹介で首相山県有朋と知り合い,山県の推薦で英国留学し政治経済学で学位を取得。帰国後は衆院議員に当選して尾崎行雄と行動を共にし議会で外交問題に多く発言する一方で,日本で英文通信社を設立,英字紙『日本財政経済月報』を発行する。第2次大隈内閣(1914)では山県や井上馨 ら元老と尾崎行雄の仲介役となる。民間にあったが強い愛国心を持ち,対外問題に関する民間世論形成にかなりの影響力を持っていた。<著作>『世界に於ける明治天皇』『日米必戦論』(共に翻訳)<参考文献>望月清矣『鶯渓遺稿』,山本四郎編『第二次大隈内閣関係史料』

(季武嘉也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「望月小太郎」の解説

望月小太郎 もちづき-こたろう

1866*-1927 明治-大正時代の政治家。
慶応元年11月15日生まれ。イギリスで政治経済学,法学をまなぶ。明治35年衆議院議員(当選7回),大正12年憲政会総務。日本事情の対外紹介のため英文通信社を創立,「日刊英文通信」「英文日本財政経済月報」を発行した。昭和2年5月19日死去。63歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「望月小太郎」の解説

望月 小太郎 (もちづき こたろう)

生年月日:1866年11月15日
明治時代の政治家;ジャーナリスト。英文通信社社長;衆議院議員
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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