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朝鮮のキリスト教 ちょうせんのキリストきょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朝鮮のキリスト教
ちょうせんのキリストきょう

宣祖 (在位 1567~1608) の頃に,朝鮮使節の中国往来によって朝鮮にもたらされたといわれる。最初インテリ階級に受入れられ,のち清で受洗した李承薫 (1756~1801) らの活躍や,中国人司祭周文謨の布教によって一般庶民の間にも浸透し,著しく発展した。しかし純祖1 (01) 年に辛酉の獄が起り,周文謨をはじめ李承薫以下多数の殉教者を出した。これ以降も教徒は教勢維持に努め,同 31年には北京教区と分離し朝鮮教区を創設,同 36年からモーバン (1803~39) 以下フランス人3名が入朝して,教徒は増加したが,同 39年に再び大弾圧が加えられ,フランス人宣教師以下約 80名が殉教した。哲宗 (在位 50~63) 以後禁令が緩和され教徒数も2万 3000を数えるまでになった。しかし高宗3 (66) 年に大院君によって弾圧令が下され,多数の教徒が処刑された。大院君が失脚し,同 19年の朝米修好条約,同 23年の朝仏修好条約を契機に布教の自由が公認された。プロテスタントは高宗 22 (85) 年に長老派のアンダーウッド (59~1919) ,メソジスト教会のアペンゼラー (1858~1902) らアメリカ宣教師によって実質的に伝道事業が開始され,伝道とともに学校を設立し社会事業,医療事業にも努めた結果,日ましに教徒が増加した。そのなかから多くの啓蒙運動家が出現し,日本植民地時代には独立運動の指導勢力として活躍した。第2次世界大戦中は,日本のキリスト教と同様,神社参拝問題など民族的,宗教的に二重の困苦に耐え,対外的には無力化したが,1945年8月の解放後,新旧両教会とも,日本統治への民族的抵抗の精神的よりどころとしての実績から急速に伸張して大きな社会勢力となった。最近では民主化運動などへの影響も無視できない。しかし,北朝鮮においてはかえってこのことが共産政権との摩擦を生み,教会の体質を一層反共的なものとし,多くのキリスト者が南部へ移住した。

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