改訂新版 世界大百科事典 「朝鮮駐劄軍」の意味・わかりやすい解説
朝鮮駐劄軍 (ちょうせんちゅうさつぐん)
日露戦争開戦直後に編成され,日韓併合を経て日本による植民地支配の時期を通じて朝鮮に駐屯した日本の陸軍。日朝修好条規締結(1876)後,日本の陸軍部隊が朝鮮に常駐したのは,1882年壬午軍乱後結ばれた済物浦条約にもとづき,ソウルに駐屯した守備隊をはじめとする。甲申政変の翌年,85年に日清間で結ばれた天津条約で,日清両軍は朝鮮から撤退したが,日清戦争で日本軍が大挙朝鮮に出兵し,戦争終了後も公使館守備隊が駐屯,さらに96年の日露協定(小村=ウェーバー覚書)で,ソウル,釜山,元山および京釜間電信線保護のため日本軍の常駐が約され,この状況が日露戦争直前まで続いた。日露戦争の開戦に先立ち日本軍歩兵1大隊が朝鮮に派遣され,開戦後さらに増強され,1904年3月11日に6大隊半の兵力で新たに韓国駐劄軍を編成した。韓国駐劄軍は〈帝国公使館領事館及居留民ノ保護ニ任シ且ツ京城ノ治安ヲ維持シ我作戦軍ノ背後ニ於ケル諸設備ヲ全フシテ其運動ヲ容易ナラシムル〉という目的で創設されたが,事実上は朝鮮占領軍にほかならず,日露戦争中はもとより,その後も朝鮮の抗日民族運動の鎮圧に当たるとともに,ロシア,中国との国境の防備やシベリア・満州地方への勢力拡張に備える軍事力として維持強化された。
日韓併合後の1910年10月朝鮮駐劄軍と改称され,初めは日本本土から交代派遣されていたが,陸軍では2個師団常駐の要求が強く,15年第19,20師団が新設編成され,羅南,竜山にそれぞれ司令部をおいた。18年5月朝鮮軍となり,朝鮮支配のための軍事力であることはもちろん,シベリア出兵時には間島方面に,満州事変勃発直後には満州に越境進撃したりした。太平洋戦争の末期にはアメリカ軍の進攻に備えて,朝鮮駐屯の日本陸軍主力は第17方面軍(7個師団)に編成され,済州島はじめ朝鮮南部に展開し,北部には第34軍(2個師団)と第3軍中の1個師団が配置されていた。
執筆者:中塚 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報