木和田村(読み)きわだむら

日本歴史地名大系 「木和田村」の解説

木和田村
きわだむら

[現在地名]作手村木和田

善夫(ぜんぶ)村の東に標高六〇〇―七〇〇メートルの山を隔て、大和田(おおわだ)村の北にあたる。東は標高五〇〇―六〇〇メートルの山を境として現鳳来(ほうらい)町に接し、山間を南流する木和田川に沿ってわずかに耕地がみられるにすぎない。村名は木和田三郎左衛門が住居して開いたためと伝える。木和田三郎左衛門は菅沼氏の祖で、美濃から当地に移り、のち菅沼(すがぬま)に移ったという。北方の上木和田より西方山腹に二段の削平地があり、ここがその居住地という(北設楽郡史)。またその西方善夫との境の城(じよう)ヶ峯(ね)に城跡があり、本丸・帯曲輪の跡を残す。「三河国二葉松」に「木和田古城 涯田三郎左衛門、次桜井与左衛門」とあり、また河合八度兵衛が住んだともいう。


木和田村
きわだむら

[現在地名]米沢市木和田

竹井(たけい)村の東に位置し、米沢盆地東縁の山麓に立地。標高約三〇〇メートルの地だが、東部は山麓まで水田が広がる。正保郷帳に村名がみえ、田四一一石余・畑七四石余。寛文元年(一六六一)の人数改帳(市立米沢図書館蔵)では人数九四。同四年米沢藩領から幕府領米沢藩預地となり、以後は金谷(かなや)村と同様の変遷をたどる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む