木島桜谷(読み)このしまおうこく

精選版 日本国語大辞典 「木島桜谷」の意味・読み・例文・類語

このしま‐おうこく【木島桜谷】

  1. 日本画家。本名文治郎。京都出身。今尾景年に師事作品は四条円山派風に新味を加えた、おだやかな画風を示す。代表作に「しぐれ」「若葉の山」など。明治一〇~昭和一三年(一八七七‐一九三八

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20世紀日本人名事典 「木島桜谷」の解説

木島 桜谷
コノシマ オウコク

明治・大正期の日本画家



生年
明治10(1877)年3月6日

没年
昭和13(1938)年11月3日

出生地
京都三条室町

本名
木島 文治郎

別名
別号=竜池草堂主人

学歴〔年〕
京都市立商業学校中退

経歴
円山・四条派の今尾景年に師事、また漢詩を山本谿愚に学んだ。明治32年全国絵画共進会に「瓜生兄弟」を出品宮内庁買い上げとなった。その後京都美術協会展、新古美術品展などで毎回受賞した。40年第1回文展に「しぐれ」が2等賞、以後大正元年の第6回文展で「寒月」が2等賞になるなど毎回賞を得た。同年京都市立美術工芸学校教諭、2年の第7回文展では審査員、3年無鑑査。4年京都市立絵画専門学校教授となった。昭和8年第14回帝展に「峡中の秋」を出品、その後は画壇を離れ、漢籍に親しむ日々を送った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木島桜谷」の意味・わかりやすい解説

木島桜谷
このしまおうこく
(1877―1938)

日本画家。京都に生まれる。本名文治郎。京都市立商業学校を中退、19歳のとき今尾景年(けいねん)の門に入り、また山本谿愚(けいぐ)について漢詩を学んだ。京都美術協会展、新古美術品展などに出品、1899年(明治32)後素協会主催全国絵画共進会に出品した『瓜生(うりゅう)兄弟』が宮内省買上げになった。1907年(明治40)の第1回文展では『しぐれ』が二等賞になり、以後続けて受賞、13年(大正2)に審査員に推された。12年に京都市立美術工芸学校教諭、15年には京都市立絵画専門学校教授となり、後進を育てた。円山・四条派の画風にくふうを加え、主題を選ばず平明に表現した。『しぐれ』のほか『寒月』『若葉の山』などが代表作。晩年は画作から離れ詩書に親しんだ。

原田 実]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木島桜谷」の解説

木島桜谷 このしま-おうこく

1877-1938 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治10年3月6日生まれ。今尾景年(けいねん)にまなぶ。文展で明治40年の第1回から第6回まで連続受賞。大正4年京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)教授。昭和13年11月3日死去。62歳。京都出身。本名は文治郎。別号に竜池草堂主人など。作品に「若菜の山」「寒月」など。

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367日誕生日大事典 「木島桜谷」の解説

木島 桜谷 (このしま おうこく)

生年月日:1877年3月6日
明治時代;大正時代の日本画家。京都市立絵画専門学校教授
1938年没

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