木戸瓦窯跡
きどがようせき
大崎平野に南面する丘陵から南に枝分れした小丘陵斜面に位置。奈良時代前半において国家的施設に供給する瓦を焼いた窯跡。現在供給地として多賀城跡・多賀城廃寺、新田柵の比定地の天狗堂遺跡が知られている。窯跡群は三地点あり、A・B地点で各七基、C地点で三基確認されている。昭和三三年(一九五八)、四九年にB・C地点の発掘調査が行われ、瓦窯がいずれも地下式無段窖窯であることが明らかとなった。出土遺物には重弁蓮華文軒丸瓦・手描重弧文軒平瓦・平瓦・玉縁付丸瓦・須恵器・
などがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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きどかわらがまあと【木戸瓦窯跡】
宮城県大崎市田尻沼部にある窯跡。8世紀前半に役所や寺院の屋根瓦を生産した施設で、古代陸奥国の官窯と考えられる。8世紀初め、近隣にある日の出山(ひのでやま)瓦窯跡、大吉山(だいきちやま)瓦窯跡とともに創建当時の多賀城政庁や多賀城廃寺などの屋根瓦を焼成した。大崎平野北部の丘陵に位置し、3地点が確認されており、そのうち北端の1地点が1976年(昭和51)に国の史跡として指定されている。1958年(昭和33)、1974年(昭和49)に発掘調査が行われ、8世紀前半に多賀城創建時の瓦を焼成した窯跡であることがわかった。地下式の窖窯(あながま)(登り窯の一種で斜面をうがつなどして作られた窯)であり、軒丸瓦(のきまるがわら)、軒平瓦、平瓦、丸瓦、鬼板などが出土している。また、「□□郡仲村郷他辺里長 二百長丈部呰人」と箆書(へらが)きされた多賀城創建時の平瓦が見つかっている。JR東北本線田尻駅から車で約16分。
出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報
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