沼辺村(読み)ぬまべむら

日本歴史地名大系 「沼辺村」の解説

沼辺村
ぬまべむら

[現在地名]村田町沼辺

関場せきば村の南から東にかけて立地。南流するしん川と東流するあら川が村の中央で合し、南東流して南東端で白石しろいし川に合流する。流域には沖積地が広がる。東は韮神にらがみ山の丘陵を境に舟迫ふなばさま村・成田なりた(現柴田町)、南は大河原おおがわら(現大河原町)、西は沼田ぬまた村。「安永風土記」によれば、昔大沼があり、その周囲に人家が立並んでいたのが村名の由来という。天文七年(一五三八)の段銭古帳に「十七〆五百文 ぬまへ」とある。「伊達世臣家譜」によれば、永正七年(一五一〇)太田資仲が上野国平井ひらい(現群馬県藤岡市)からこの地に移り、伊達氏に仕え館を築き、沼辺氏と改めた。三代重俊以下代々玄蕃を称したので、この館を玄蕃げんば館という。玄蕃館跡は沼辺の南西部の小高い丘一帯の広大な地を占める。天文一三年には「沼部・堰場」など五郷が舟岡ふなおか(現柴田町)の四保宗義に与えられ(「伊達正統世次考」一月二四日条)、同二二年集成の晴宗公采地下賜録によれば、沼辺玄蕃に「一ぬま田、一ぬまへ、一あらい」の三郷の棟役・段銭・諸公事免除の特権などが与えられ、小泉伊勢守には同一一年まで成田三郎左衛門が知行していた「ひかしぬまへ」が与えられている。


沼辺村
ぬまべむら

[現在地名]田尻町沼部ぬまべ

篦岳ののだけ丘陵南麓と田尻川などの形成した低地に立地。氾濫原には自然堤防と後背湿地が形成され沼が多い。東は小塩おしお村、西は桜田高野さくらだこうや村・北牧目きたまぎのめ村。田尻宿涌谷わくや宿(現涌谷町)米岡よねおか宿(現登米郡米山町)への道が通る。「安永風土記」によれば、村名は大崎氏家臣の沼部玄蕃なるものが居住したことによるという。寛永一七年(一六四〇)検地帳(宮城県図書館蔵)には「遠田郡三高野之内沼辺村」とあり、田二四貫九九六文・反別二〇町七反余、畑三貫五五四文・反別八町四反余、名請人は一〇人で、沼部・木戸きど牛宿うしゆくの屋敷名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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