木越安綱(読み)きごしやすつな

精選版 日本国語大辞典 「木越安綱」の意味・読み・例文・類語

きごし‐やすつな【木越安綱】

  1. 陸軍中将。男爵。本姓加藤金沢藩石川県出身。陸軍士官学校卒。ドイツ留学後、桂太郎とともに軍制改革に尽くし、日清日露戦争参戦。のち、第三次桂内閣、第一次山本内閣陸相となる。貴族院議員嘉永七~昭和七年(一八五四‐一九三二

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「木越安綱」の解説

木越 安綱
キゴシ ヤスツナ


肩書
陸相,貴院議員

旧名・旧姓
旧姓=加藤

生年月日
安政1年3月25日(1854年)

出身地
石川県

学歴
陸士(旧1期)卒

経歴
明治10年陸軍少尉。ドイツに留学し、19年帰国、桂太郎とともに、ドイツ式軍政を採用した。日清、日露の戦役に従軍、27年中将。その間台湾守備隊参謀長、陸軍軍務局長、第3師団参謀、韓国臨時派遣隊司令官、第5師団長などを歴任。40年男爵。大正元年第3次桂太郎内閣の陸相を務め、9年貴院議員となる。

没年月日
昭和7年3月26日

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20世紀日本人名事典 「木越安綱」の解説

木越 安綱
キゴシ ヤスツナ

明治期の陸軍中将,男爵 陸相;貴院議員。



生年
嘉永7年3月25日(1854年)

没年
昭和7(1932)年3月26日

出身地
石川県

旧姓(旧名)
加藤

学歴〔年〕
陸士(旧1期)〔明治10年〕卒

経歴
明治10年陸軍少尉。ドイツに留学し、19年帰国、桂太郎とともに、ドイツ式軍政を採用した。日清、日露の戦役に従軍、27年中将。その間台湾守備隊参謀長、陸軍軍務局長、第3師団参謀、韓国臨時派遣隊司令官、第5師団長などを歴任。40年男爵。大正元年第3次桂内閣の陸相を務め、9年貴院議員となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「木越安綱」の解説

木越安綱

没年:昭和7.3.26(1932)
生年:安政1.3.25(1854.4.22)
明治期の陸軍軍人。男爵。金沢藩士加藤九八郎の次男。明治6(1873)年教導団に入り,同10年の西南戦争に従軍して負傷。同年陸軍士官学校卒。日清戦争(1894~95)では第3師団高級参謀,参謀長として桂太郎師団長を補佐した。以後,桂の庇護のもと軍務局長などを歴任。日露戦争(1904~05)では第5師団長。明治45(1912)年12月第3次桂内閣成立時に抜擢されて陸軍大臣となったが,第1次護憲運動のなか桂内閣が倒れ,留任した第1次山本権兵衛内閣で軍部大臣現役武官制の改正を容認したため辞任,休職となる。のち貴族院議員。

(小池聖一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木越安綱」の解説

木越安綱 きごし-やすつな

1854-1932 明治-大正時代の軍人。
嘉永(かえい)7年3月25日生まれ。第五師団長として日露戦争に従軍。大正元年第3次桂内閣陸相。2年第1次山本内閣の陸相のとき,山本首相の軍部大臣の現役専任制改正に協力して閣内で孤立,辞任した。陸軍中将。貴族院議員。昭和7年3月26日死去。79歳。加賀(石川県)出身。陸軍士官学校卒。旧姓は加藤。

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367日誕生日大事典 「木越安綱」の解説

木越 安綱 (きごし やすつな)

生年月日:1854年3月25日
明治時代の陸軍軍人;政治家。陸軍大臣男爵
1932年没

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