本多忠利(読み)ほんだ ただとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠利」の解説

本多忠利(2) ほんだ-ただとし

1635-1700 江戸時代前期の大名
寛永12年生まれ。本多忠義(ただよし)の次男。将軍徳川家綱につかえ,寛文2年父の領内陸奥(むつ)白河(福島県)で1万石を分与される。奏者番,寺社奉行をつとめる。延宝9年三河(愛知県)挙母(ころも)藩主本多家初代。元禄(げんろく)13年5月8日死去。66歳。通称は一学。

本多忠利(1) ほんだ-ただとし

1600-1645 江戸時代前期の大名。
慶長5年生まれ。本多康紀(やすのり)の長男初陣の大坂夏の陣で功をたて,徳川家康より賞される。元和(げんな)9年三河(愛知県)岡崎藩主本多家(定正系)3代となった。父の岡崎城修築をうけついだ。正保(しょうほ)2年2月10日死去。46歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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