本多忠寛(読み)ほんだ ただひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠寛」の解説

本多忠寛(1) ほんだ-ただひろ

1827-1885 江戸時代後期の大名
文政10年1月20日生まれ。本多忠升(ただたか)の次男天保(てんぽう)11年伊勢(いせ)(三重県)神戸(かんべ)藩主本多家6代となる。大坂加番代,各所門番をつとめた。明治18年12月20日死去。59歳。別名忠廉(ただゆき),忠都(ただよし)。

本多忠寛(2) ほんだ-ただひろ

1832-1867 幕末の大名。
天保(てんぽう)3年生まれ。天狗(てんぐ)党の乱の際の江戸警備の功により9000石の旗本から1万500石に高直しされて立藩。元治(げんじ)元年三河(愛知県)西端(にしはた)藩主本多家初代となる。慶応3年5月20日死去。36歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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