本学神社(読み)ほんがくじんじや

日本歴史地名大系 「本学神社」の解説

本学神社
ほんがくじんじや

[現在地名]高森町山吹 越田字条山

山吹やまぶき西方越田条こしだじよう(七二〇メートル)の山頂にあり、国学四大人を祭神とする。

山吹村の片桐春一郎(山吹藩老職)座光寺ざこうじ(現飯田市)の北原信質(稲雄)・飯田の岩崎長世ら平田派国学者が中心となり、慶応三年(一八六七)に創建された。社号は平田鉄胤によって本学霊社と命名された。山上の約九メートルと一〇メートルの平場、高さ一メートルに積まれた三メートル四方の石垣上に社殿が建てられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本学神社」の意味・わかりやすい解説

本学神社
ほんがくじんじゃ

長野県下伊那(しもいな)郡高森町山吹条山(こえだやま)に鎮座。荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)を祀(まつ)る。江戸末期に下伊那地方には多くの篤胤門下がいて、国学が盛んとなっていたが、山吹藩士片桐春一郎が中心となり、1867年(慶応3)篤胤の養子銕胤(かねたね)の命名で本学霊社との名称のもとに創建、当地方国学の中心とし、のち1889年(明治22)現社号となる。国学四大人(うし)を祀る最初の社。例祭4月24日、9月24日。

[鎌田純一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む