本折町(読み)もとおりまち

日本歴史地名大系 「本折町」の解説

本折町
もとおりまち

[現在地名]小松市本折町・清水町しみずまち

北陸街道に沿い、南は上本折町、北は猫橋ねこばしを挟んで竜助りゆうすけ町。長さ三町一二間一尺・幅三間三尺(皇国地誌)中世野代のしろ庄に属した。「廻国雑記」によれば、文明一八年(一四八六)六月北陸街道を下る聖護院道興は、「もとおりを通り侍りけるに、人のきぬををりけるを見侍りて」歌を詠んでいるように、当地は北陸街道筋に立地する中世加賀絹織物生産の中心地であった。延徳三年(一四九一)冷泉為広は、一〇日越前金津かなづ(現福井県金津町)の理智院(談議所)を出立して「モトオリ養牛庵」に宿泊している(越後下向日記)。なお安楽山産福禅寺年代記(浄住寺文書)永禄七年(一五六四)条によれば、産福寺大妙の葬礼に「本折養牛渓友虎長老」が焼香したとある。明応三年(一四九四)一〇月朝倉貞高勢に対抗する越前甲斐牢人方の加賀一向一揆が「小松・本織」から江沼えぬま郡諸所に布陣している(「大乗院寺社雑事記」同月一五日条)。永正三年(一五〇六)越前の永正一揆で敗北した藤島超勝ふじしまちようしよう寺は加賀粟津あわづ保内に寺基を移したが、同寺蓮超の弟蓮教が「賀州野代庄本折大垣内」に住し、勧帰かんき寺を開いたとされる(日野一流系図)

享禄四年(一五三一)八月加賀一向一揆の内紛(享禄の錯乱)に乗じ、賀州三ヵ寺派にくみする朝倉教景の子景紀が加賀に侵入し、九月五日江沼郡の敷地しきじ菅生すごう(現加賀市)から本折へ陣替えし、一〇月二六日本折を発って手取川方面へ向かったという(朝倉始末記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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