日本歴史地名大系 「本紺屋町」の解説 本紺屋町もとこうやまち 長崎県:長崎市長崎町本紺屋町[現在地名]長崎市栄町(さかえまち)・賑町(にぎわいまち)袋(ふくろ)町の西、中島(なかしま)川右岸にある長崎外(そと)町の一ヵ町で、船手に属した。町並はほぼ南北に形成され、南は本古川(もとふるかわ)町に通じ、北は今下(いました)町に接する。文禄二年(一五九三)畑地を開いて町立てが行われ、外町では最も古く成立した四町の一つ。藍染職人の居住により紺屋町と称していたが、慶長一三年(一六〇八)頃に今紺屋(いまこうや)町が起立したことから本紺屋町と改めたという。しかし慶長二年頃に本紺屋町衆が伊勢参宮に赴いている。町衆の伊勢参りは寛永一七年(一六四〇)・正保元年(一六四四)などにもみられる(「御参宮人抜書」橋村家文書)。元和八年(一六二二)のドミニコ会宛の長崎ロザリオ組中連判書付に「本こんや町」の「九右衛門尉寿庵」が署名。寛永一九年の平戸町人別生所糺によれば平戸(ひらど)町の柏屋九左衛門尉の奉公人たけは相浦(あいのうら)(現佐世保市)生れで、寛永元年頃に古川町に来て、同六年から同九年まで長崎奉行であった竹中采女正のとき「長崎本紺屋町」で転び、法華宗本蓮(ほんれん)寺を請寺とした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報