日本歴史地名大系 「杉土手跡」の解説 杉土手跡すぎどてあと 岩手県:盛岡市盛岡城下下河原杉土手跡[現在地名]盛岡市南大通三丁目・馬場町・清水町下河原(しもがわら)南方の長さ八町ほどの北上川土手(盛岡砂子)。桜(さくら)馬場の御厩尻(おうまやじり)から新山(しんざん)舟橋まで、護岸のため土手に杉が植えられていたので杉土手と称した。寛永城下図には大清水(おおしみず)小路南西の北上川古川河岸に土手があり、さらに古川の河原を隔てて新土手が築造されており、護岸のため多くの柵が並べられ、「新山舟渡の川よけ」と記される。「盛岡砂子」によると、新土手の築造は元和年中(一六一五―二四)とされ、杉土手は延宝三年(一六七五)の新築地(しんちくち)普請の際に同時に築かれたといわれる。しかし、工事は新土手の修復であったらしく、同書に「沖弥一右衛門の大小目録に、御城下遠曲郭へ杉を植させられ度よし見えたれば、此頃迄、杉ハなかりしものと見えたり」とあり、延宝頃は土留の杉は植えられていなかったらしい。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by