江戸後期の洋学者。長崎の生まれ。本姓は三栖谷(みくりや)、オランダ通詞の長兄馬場為八郎(1769―1838)に養われ、その養嗣子(しし)となった。幼名を千之助、のちに貞由(さだよし)と改め、佐十郎は通称。字(あざな)は職夫、轂里(こくり)と号し、蘭名(らんめい)としてはAbrahamを用いた。オランダ通詞としてオランダ語の教育を受け、さらに志筑忠雄(しづきただお)に師事し、また商館長ドゥーフHendrik Doeff(1777―1835)らからは蘭・仏・英の3か国語を学んだ。1808年(文化5)天文方に蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)の局が設けられると、大槻玄沢(おおつきげんたく)とともに訳員として出仕を命ぜられ、フランスのショメルNoël Chomel(1633―1712)の百科全書『厚生新編』の翻訳等に中心的人物として活躍した。大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)についてロシア語を学び、さらに1813年、松前(まつまえ)に抑留中のロシア船船長ゴロウニンについて、足立信頭(あだちしんとう)(左内(さない))とともにロシア語を学び、ゴロウニンの口述から『魯語(ろご)文法規範』をつくった。ロシア語から種痘に関する書『遁花秘訣(とんかひけつ)』、またゴロウニンの抑留日記を『遭厄日本紀事(そうやくにほんきじ)』として翻訳している。このほか、1818年(文政1)と1822年には浦賀に出張し、イギリス船との応接にあたった。死後出版された『泰西(たいせい)七金訳説』(1854刊)などもある。墓は宗延寺(東京都杉並区)にあり、墓碑銘は高橋景保(かげやす)の撰(せん)文である。
[菊池俊彦]
『杉本つとむ著『江戸時代蘭語学の成立とその展開』全5巻(1976~1982・早稲田大学出版部)』
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