厚生新編(読み)コウセイシンペン

デジタル大辞泉 「厚生新編」の意味・読み・例文・類語

こうせいしんぺん【厚生新編】

江戸後期の百科事典。70巻(2巻を欠く)。フランスショメルの「日用百科事典」のオランダ語訳本から、実用的な項目を選択して、幕府天文方の蕃書和解御用(馬場貞由大槻玄沢宇田川玄真ら)で翻訳。文化8~弘化3年(1811~1846)にかけて訳出され、蘭学の発達普及に大いに貢献した。昭和12年(1937)刊。

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精選版 日本国語大辞典 「厚生新編」の意味・読み・例文・類語

こうせいしんぺん【厚生新編】

  1. 江戸後期の翻訳書。七〇巻。高橋景保(かげやす)馬場佐十郎らの共訳。文化八~天保一〇年(一八一一‐三九)頃成立。昭和一二年(一九三七)刊。フランスのショメル編の百科事典をオランダ訳本から抜粋翻訳したもので、植物、疾病医学を中心に、天文、地理物理などを三七七項目にわたり、アルファベット順に収める。蘭学研究の先駆となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「厚生新編」の意味・わかりやすい解説

厚生新編
こうせいしんぺん

わが国でオランダ語から初めて翻訳された百科事典。原書は、フランス、リヨンのサン・バンサン教区長であったショメルM. Noël Chomel(1632―1712)が、1709年に著した『日用百科事典』Agronome français dictionnaire économique 2巻を、オランダのデ・シャルモJ. A. de Chalmot(1730―1801)が増補改訂して8冊とした蘭書(らんしょ)(1718年再版)『Huischou delijk woordenboek』を、幕府が1810年(文化7)に購入したものであった。この書の官撰(かんせん)翻訳の開始には2説あり、大槻(おおつき)玄幹が、馬場佐十郎(貞由)の江戸引き留め策としてこの書の訳を命ずるよう、奥医師土生玄磧(はぶげんせき)を通じて進言したとも、また、蘭学者らが奥医師渋江長伯を通じて進言した(新村出(しんむらいずる)説)ともいわれている。翌1811年3月、天文方高橋景保(かげやす)が馬場佐十郎をこの翻訳にあたらせ、仙台藩の医員大槻玄沢も加わったが、2年後に馬場が松前に派遣され、玄沢は27年(文政10)に死亡、景保は29年シーボルト事件に連座して没するなど、この事業は種々の事件によって翻訳者が移り変わった。結局、馬場、大槻のほか宇田川玄真・玄幹・榕菴(ようあん)、さらに小関三英(こせきさんえい)、湊(みなと)長安ら当時の代表的な蘭学者が携わったが、1846年(弘化3)榕菴の死で中絶した。

 内容は、植物152項、医学83項、動物39項、鉱物36項のほか、天文、産業技芸、人体など理科、技術である。翻訳にあたっては、事物を見たことがないため、それを取り寄せたり、問い合わせたり、苦心を重ねたという。しかしその結果、語学の進歩と知識を広めるのに役だち、幕府に蕃書調所(ばんしょしらべしょ)を天文方から独立(1856)させるに至った。江戸時代最大の翻訳事業であり、日本の科学史の最初を飾る貴重な文献といわれる。この訳本は不明であったが、昭和初年静岡県立中央図書館葵(あおい)文庫の蔵書のなかにあることが、同館長貞松修蔵によって確認された。全70巻中、第31と第32の2巻を欠いている。1937年(昭和12)同氏によって複製された。

[彌吉光長]

『大槻玄沢・宇田川榕菴他監訳『厚生新編』5巻・別巻1(1978・恒和出版)』


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百科事典マイペディア 「厚生新編」の意味・わかりやすい解説

厚生新編【こうせいしんぺん】

フランスのM.N.ショメル編の実用家庭百科事典(18世紀初)のオランダ訳(8巻)を,馬場佐十郎大槻玄沢宇田川榛斎(しんさい)らが中心に,1811年から30年余を費やして和訳したもの。利用厚生のための実際的知識は多いが人文関係事項を欠いている。幕命により流布が禁ぜられ世に出なかったが,1937年静岡県立葵(あおい)文庫にあった副本により初めて公刊。

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旺文社日本史事典 三訂版 「厚生新編」の解説

厚生新編
こうせいしんぺん

江戸後期,幕府の蕃書和解御用で翻訳された百科事典
フランス人ショメールの百科事典『日用百科事典』のオランダ語訳を和訳したもの。天体・動植鉱物・人間など日常生活上の377項を,小関三英・大槻玄沢・宇田川榕庵らが訳述した。1811年から30余年を要し,100巻にものぼる大著。

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世界大百科事典(旧版)内の厚生新編の言及

【宇田川玄真】より

…杉田玄白の門にあったとき,その才を認められ養嗣子となったが,訳あって離縁となった。玄随訳《西説内科撰要》を増訂,《西説医範提綱釈義》を刊行して西洋解剖説の普及に貢献,《和蘭薬鏡》《遠西医方名物考》を訳編して西洋薬物学を樹立,幕府に出仕し《厚生新編》訳業に参画した。著訳書多く,日本最初の西洋小児科書,西洋眼科書(いずれも未刊)等を訳述した。…

【大槻玄沢】より

…父玄梁が仙台藩の支藩一関藩医に出仕後,同藩の同僚建部清庵門に入り,清庵の三男亮策が杉田玄白門に入ったのに刺激されて,請うて玄白に入門,前野良沢についてオランダ語を学び,さらに長崎に遊学して本木良永らに交わって語学力を深めた。江戸に帰ってからは江戸詰の仙台藩医としてのかたわら蘭方医学塾(芝蘭堂)を開き,江戸蘭学の次代を担う中心人物として多くの蘭方医を育成,蘭学の発展と普及に貢献,1811年(文化8)幕府に出仕して《厚生新編》の訳業に参画した。著訳書すこぶる多く,《重訂解体新書》《瘍医新書》《六物新志》《薦録》《蘭畹摘芳》《大西黴瘡方》等の医書,本草書のほか《蘭学階梯(らんがくかいてい)》等の語学書もあり,300余巻に及ぶ。…

【コーヒー】より

… 日本には安永年間(1772‐81)までにフランスの《ショメル日用百科事典》のオランダ語訳が入手され,それによって17世紀末までのくわしいコーヒー知識が伝えられた。この書はその後幕命により馬場佐十郎,大槻玄沢らの蘭学者が日本語訳を行い,《厚生新編》と名づけられたが,その第28巻〈雑集〉の〈コッヒイ〉の項は1万語にも及ぶ。コーヒーそのものの伝来時期は不明であるが,長崎に来往したオランダ人が持ち込んでいたことは確かで,1804‐05年(文化1‐2)長崎勤務をしていた大田南畝は,オランダ船を訪れた際コーヒーをすすめられ,〈紅毛船にて`カウヒイ’といふものを勧む。…

【百科事典】より

…その最初の出版物は1920年に公民書局から出た《公民叢書》で,国際・社会・政治・哲学・経済・教育などの分野にわたって,国民に必要な知識を,欧米および日本の著述の翻訳を通して,提供しようとしたものである。それは江戸幕府が手がけた《厚生新編》と明治の《百科全書》,つまり日本の第1号と第2号の百科事典が西欧の百科事典の翻訳であったのと軌を一にしている。王雲五は翌21年から商務印書館にあって400余種の《百科小叢書》と4000冊2億4000万字にのぼる大叢書《万有文庫》の刊行を行っている。…

【フランス】より

…1787年(天明7)にはショメル神父Noël Chomel(1633‐1712)の《百科辞典Dictionnaire universel》のオランダ語版が,オランダ商館長ティチングから楢林重兵衛に贈られた。1811年(文化8)から高橋作左衛門景保,馬場佐十郎,大槻玄沢らがこれを訳しはじめ,39年(天保10)までに主要部分を《厚生新編》69巻として刊行した。高橋作左衛門景保の父至時(よしとき)はJ.ラランドの天文学書を1787年にオランダ訳から訳している。…

※「厚生新編」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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