日本幽囚記(読み)ニホンユウシュウキ

デジタル大辞泉 「日本幽囚記」の意味・読み・例文・類語

にほんゆうしゅうき〔ニホンイウシウキ〕【日本幽囚記】

文化8年(1811)千島列島に来航したロシア帝国軍人ゴロブニンの2年3か月余にわたる日本幽閉中の手記。1巻。1816年刊。文政年間(1818~1830)に「遭厄日本紀事」、明治27年(1894)に「日本幽囚実記」と題して邦訳された。

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精選版 日本国語大辞典 「日本幽囚記」の意味・読み・例文・類語

にほんゆうしゅうきニホンイウシウキ【日本幽囚記】

  1. 文化八年(一八一一)千島列島に来航したロシア帝国軍人ゴロブニンの二年三か月余にわたる日本幽閉中の手記。一巻。一八一六年刊。文政年間(一八一八‐三〇)に「遭厄日本紀事」、明治二七年(一八九四)に「日本幽囚実記」と題して邦訳された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本幽囚記」の意味・わかりやすい解説

日本幽囚記
にほんゆうしゅうき

1811年(文化8)に国後(くなしり)島で捕らえられ、北海道松前(まつまえ)で2年余にわたって拘禁生活を送ったロシア提督ゴロウニンが、ひそかにつけた日記などをもとに、その体験を記した手記。原書は、「1811、1812および1813年日本人の捕虜となったワシーリイ・ミハイロビッチ・ゴロウニンの手記」と題し、1816年ロシア海軍印刷局から官費で出版された。南千島測量に出発してから釈放されてペテルブルグに帰るまでの体験を逐一叙述した部分と、「日本国および日本人論」とからなっている。見聞した日本の姿を正確に伝えることに努力が払われていて、卓越した日本認識に至っている。出版されるとすぐに各国語に翻訳され、当時の偏見に満ちた日本認識の是正に役だった。日本でも、オランダ語訳を手に入れた馬場佐十郎(さじゅうろう)らにより1821年(文政4)から翻訳が始まり、本編12巻、付録2巻からなる『遭厄(そうやく)日本紀事』(高橋景保(かげやす)校閲)として25年に完成している。

[小林真人]

『井上満訳『日本幽囚記』全3冊(岩波文庫)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日本幽囚記」の解説

日本幽囚記
にほんゆうしゅうき

江戸後期のゴロブニンの日本幽閉中の手記。1816年刊。ディアナ号艦長ゴロブニンは11年(文化8)士官ら7人とともに松前奉行所の役人に捕らえられ,松前・箱館で2年3カ月余の監禁生活を送った。この間,村上貞助・間宮林蔵ら日本の知識人に会い,ロシア語やロシアについての知識を伝えるとともに,日本や日本人の知識も得た。本書はこれらの事情を克明に綴ったもの。広く欧米語に訳され,日本でも25年(文政8)オランダ語版からの訳本が「遭厄(そうやく)日本紀事」として刊行された。「岩波文庫所収

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旺文社日本史事典 三訂版 「日本幽囚記」の解説

日本幽囚記
にほんゆうしゅうき

ロシアの海軍中佐ゴローウニンの日本における捕囚生活記録
1816年刊行。ゴローウニンは'11年千島の国後 (くなしり) 島で捕らえられて箱館・松前に2年4か月監禁されたが,'13年,高田屋嘉兵衛尽力で釈放された。世界各国語に翻訳され,日本では '25年に青地林宗らによって『遭厄 (そうやく) 日本紀事』として訳述された。

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世界大百科事典(旧版)内の日本幽囚記の言及

【ゴロブニン】より

…ディアナ号の副艦長リコルドや彼が人質とした箱館の商人高田屋嘉兵衛の尽力もあって,13年に釈放される。この間,足立左内,馬場佐十郎,間宮林蔵らにロシア語やロシアの国情を伝え,帰国後は,日本人のもとでの抑留生活の詳細な記録と卓抜な観察からなる《日本幽囚記》(1816)を著す。この本は短期間に各国語に翻訳され,ヨーロッパの日本認識に貢献した。…

※「日本幽囚記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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