日本大百科全書(ニッポニカ) 「李厚洛」の意味・わかりやすい解説
李厚洛
りこうらく / イフラク
(1924―2009)
韓国(大韓民国)の軍人、政治家。慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド)蔚山(うるさん)出身。1945年軍事英語学校、1949年陸軍参謀学校卒業。1951年陸軍本部情報局次長となったのちアメリカ陸軍兵站(へいたん)学校に留学、1954年准将、兵站監となる。1961年少将で予備役に編入、5月軍事革命に参加して国家再建最高会議公報室長。1963年大統領秘書室長として朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)の有力側近となった。1970年駐日大使を経て韓国中央情報部(KCIA)部長。1972年に率先、平壌(ピョンヤン)を秘密訪問し、七・四共同声明署名者として南北対話を推進、南北調節委員会南側共同委員長となる。1973年金大中事件の責を負わされてKCIA部長を解任された。仏教曹渓(そうけい)宗全国信徒会長になっていたが、1978年第10代国会議員に当選。1980年の全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)政権発足後、不正蓄財等のかどで政界から追放された。
[玉城 素]
『金大中先生拉致事件の真相糾明を求める市民の会編著、大畑正姫訳『金大中拉致事件の真相』(1999・三一書房)』