改訂新版 世界大百科事典 「村井貞勝」の意味・わかりやすい解説
村井貞勝 (むらいさだかつ)
生没年:?-1582(天正10)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…16世紀中期に三好長慶が所司代として権勢を振るったという所伝は,こうした前提の上に生まれたといえよう。のち織田信長の入京後,村井貞勝が所司代に任じられ,地子銭を免除して町の復興をはかったといわれ(《安土日記》),本能寺の変後に明智光秀は三宅秀朝をこれに任じ,地子銭を永代免除して京都の人々に喜ばれたと伝える(《明智軍記》)。いずれも所司はおかれず,所司代が京都市政全般の長官の地位にあった。…
※「村井貞勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...