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村井貞勝 むらい さだかつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村井貞勝 むらい-さだかつ

?-1582 織豊時代の武将。
織田信長の家臣で,京都の民政にたずさわる。天正(てんしょう)元年京都所司代となり,御所の修築朝廷公家との連絡,京都の治安・行政にあたった。天正10年6月2日本能寺の変で,織田信忠とともに二条御所で討ち死に。近江(おうみ)(滋賀県)出身。通称は吉兵衛。号は春長軒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

村井貞勝

没年:天正10.6.2(1582.6.21)
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。通称吉兵衛,次いで民部丞を称した。織田信長に仕え,永禄11(1568)年,信長が足利義昭を擁して上洛してからは,京都の民政に携わった。同年11月,民部少輔に任じられ,その後,足利義昭が信長と不和になったとき,義昭を諫めたことがある。また,禁裏御所の修築など,朝廷との折衝にも当たっている。天正1(1573)年7月からは京都所司代の要職にあり,同3年,長門守に任ぜられた。合戦では,同4年の石山本願寺攻めに加わったこともあるが,むしろ,安土城の築城や,京都南蛮寺の建設,さらに四条の橋の架橋など,奉行としての業績にみるべきものがあった。剃髪して 春長軒 を称した。同7年9月には人買いの女を捕らえている。本能寺の変のとき,信長の嫡子信忠に殉じ二条御所で討死した。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

むらいさだかつ【村井貞勝】

?‐1582(天正10)
織田信長の奉行。京都所司代。吉兵衛,民部丞,民部少輔,長門守,春長軒と称する。1549年(天文18)信長の奉行として連署して以来織田政権下を通じて庶政に当たり,信長の上洛時には日乗朝山(ちようざん)とともに御所の修理を監督,また明智光秀とともに京都の施政に当たっている。また73年(天正1)室町幕府の滅亡にともない京都所司代となるなど,信長の最も信頼する吏僚の一員であった。本能寺の変には織田信忠に二条御所籠城をすすめ,ともに戦死した。

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世界大百科事典内の村井貞勝の言及

【所司代】より

…16世紀中期に三好長慶が所司代として権勢を振るったという所伝は,こうした前提の上に生まれたといえよう。のち織田信長の入京後,村井貞勝が所司代に任じられ,地子銭を免除して町の復興をはかったといわれ(《安土日記》),本能寺の変後に明智光秀は三宅秀朝をこれに任じ,地子銭を永代免除して京都の人々に喜ばれたと伝える(《明智軍記》)。いずれも所司はおかれず,所司代が京都市政全般の長官の地位にあった。…

※「村井貞勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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